出張から戻った翌週は、社内全体が大型案件の追い込みで慌ただしかった。
メール通知は途切れず、会議室の空きはほとんどない。
神宮寺は本社と行き来しながら進行管理をこなし、私は社内でデータや資料の最終調整を担当した。
——三日間の出張で、確かに距離は縮まった。
けれど、東京駅で別れたときの彼の表情と、奏多の笑顔が頭の中で交互に浮かんでしまう。
その揺れは、時間が経っても落ち着かなかった。
月曜の夕方、千草さんに呼ばれて会議室へ向かうと、既に神宮寺が資料を広げていた。
「明日のプレゼン、最終確認をしたい」
彼の声は淡々としていたが、視線は一瞬だけ柔らかく揺れた。
ページをめくりながら、私は業務モードに切り替える。
「第六案、情緒面のキャッチを少し強めました」
「いい。——この調子でいこう」
短いやり取りの中でも、彼の言葉は以前より私の作業を信頼してくれている温度を帯びていた。
会議が終わり、資料を片付けていると奏多が顔を覗かせた。
「美桜、あとで時間ある?」
「えっと……今日は残業になるかも」
「じゃあ、夜食でも差し入れるよ」
冗談めかして笑うその声に、神宮寺の眉がわずかに動いた気がした。
私は気づかないふりをして会議室を出た。
翌日のプレゼン本番。
神宮寺の進行は完璧で、私は補足説明をしながら相手企業の反応を見ていた。
質疑応答の終盤、クライアントの役員がふいに私に視線を向ける。
「神宮寺さんとは、長いお付き合いなんですか?」
「いえ……高校の同級生でした」
短く答えると、神宮寺の視線が横から刺さる。
その目は「それ以上は言うな」と告げていた。
私は笑顔を保ちながら、話を業務に戻した。
プレゼン後、控室で神宮寺が低い声で言った。
「高校の話は、なるべく避けたほうがいい」
「……どうしてですか」
「個人的な関係が業務に影響すると思われたくない」
正論だとわかっている。けれど、胸の奥が少し冷えた。
「わかりました」
短く答え、控室を出ると、廊下の先で奏多が待っていた。
「おつかれ、美桜。……さっきの、聞こえちゃった」
「え?」
「“高校の話は避けろ”ってやつ。……なんか、神宮寺さんらしいな」
軽く笑って見せたが、その目は少しだけ険しかった。
週の後半、社内の廊下ですれ違ったとき、神宮寺が小声で言った。
「……今週末、時間あるか」
「あります」
「じゃあ、話したいことがある」
そう言って歩き去る背中を見ながら、胸の鼓動が速くなる。
“話したいこと”が何を指すのか、予想はつく。けれど、同時に奏多の「まだ諦めてない」という言葉が重く響いた。
土曜の午後、待ち合わせ場所に向かう途中、スマホにメッセージが届いた。
《美桜、急に悪い。仕事のトラブルで行けなくなった。別の日に必ず》
神宮寺からだった。
立ち止まった私の隣に、偶然奏多が通りかかった。
「どうした?」
「……予定がキャンセルになって」
「じゃあ、俺と行こう。うまい店、知ってる」
そのまま連れられて入った小さなバルで、ワインを片手に奏多が言った。
「俺は、待てるって言ったけど……正直、早く決めてほしい」
真剣な眼差しに、胸が痛む。
返事をしようとしても、言葉が出なかった。
店を出て夜風に当たると、冷たい空気が頬を刺した。
神宮寺の未送信の言葉と、奏多の真剣な告白。
二つの視線が、私の中で交差し続けていた。

