翌週、神谷から食事の誘いがあった。
仕事の話も兼ねてと聞き、軽い気持ちで承諾した。
けれど、その店に入った瞬間――視界の端に、思いもよらぬ姿を見つけた。
奥の席、窓際。
黒いスーツに身を包んだ司が、数名の男性と談笑していた。
その横顔は相変わらず冷たく整っていて、笑みを浮かべても目の奥は静かだ。
そして、私の存在に気付くと、ふと表情を止めた。
「どうかした?」
神谷の声に我に返り、笑顔を作る。
しかし、司の視線が背中に突き刺さるようで、落ち着かない。
「……いや、何でもないです」
席に着き、ワインを口に含む。
神谷は撮影中の映画の話をしてくれたが、私はほとんど耳に入らなかった。
視線の先、司がワインを置き、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
「偶然だな、神谷」
その声は低く、しかし明らかに感情を押し殺していた。
神谷は笑顔で応じる。
「お久しぶりです、司さん。今夜は沙羅さんと仕事の話をしてたんですよ」
「……仕事、ね」
司の目が私に向けられる。
探るような、あるいは責めるような――そんな視線。
私は平静を装い、グラスを置いた。
「お邪魔しました。……神谷、また」
それだけ言い、司は背を向けて席へ戻った。
けれど、その背中からは明らかに不機嫌さが滲んでいた。
食事を終えて店を出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。
神谷がタクシーを呼ぼうとスマホを取り出したとき、黒塗りの車が目の前に停まる。
窓が下がり、司が運転席の後ろから顔を出した。
「乗れ」
「……え?」
「君だ、沙羅。話がある」
神谷が少し眉をひそめた。
「沙羅さん、どうする?」
「……すぐ戻るから」
私はそう言って、司の車に乗り込んだ。
車内は、彼の香水と革シートの匂いが混ざっていた。
窓の外の街灯が流れ、沈黙が重く落ちる。
「……あんな男と二人きりでいるな」
低く、抑えられた声。
振り返ると、司の横顔は硬く、顎に力が入っているのがわかった。
「あなたには関係ないでしょ。もう離婚したんだから」
「関係ある。……お前は、俺の――」
言いかけた言葉が途切れる。
私の心臓が大きく跳ねた。
「……何?」
「いや、何でもない」
司は視線を前に戻し、深く息を吐いた。
けれど、その手は膝の上で固く握り締められていた。
「もう帰れ。……あまり俺を苛立たせるな」
苛立たせる? その言葉に、胸が熱くなる。
怒りなのか、喜びなのか、自分でも判別がつかない感情が渦巻いた。
マンションに戻ると、葵からメッセージが届いていた。
『明日、大きなパーティーがあるんだけど来る? 司さんも出席するみたい』
また会う――そう考えるだけで、胸の鼓動が速くなる。
会いたくないはずなのに、断る理由が見つからない。
私は、まだあの人から自由になれていない。

