夜の街は、春の雨上がりの匂いをまとっていた。
 ホテルの最上階スイートの窓からは、濡れた舗道に映るネオンが揺れて見える。
 その部屋に私と司は二人きりだった。

 テーブルには、食後のワインと片付けられた皿。
 食事中も、会話は途切れなかった。
 過去の誤解、互いの勘違い、言えなかった想い――ひとつずつ言葉にしていくうちに、心の奥に溜まっていた霧が、少しずつ晴れていった。

「……三年前、君を自由にしたのは、失うのが怖かったからだ」
 司は窓際に立ち、外の夜景を背にして言った。
「愛していると口にして、もしそれを拒まれたら……耐えられなかった」

「私は……あなたが冷たいのは、愛していないからだと思ってた」
 自分の声が震えているのがわかる。
「言葉が欲しかったの。たとえそれが不器用でも」

 司はゆっくりと歩み寄り、私の前で立ち止まる。
「これからは、言葉も、行動も惜しまない」

 その瞳は真剣で、迷いがなかった。
 私の手を取り、胸の上に重ねる。
 鼓動が、早く、熱く、確かに打っていた。

「……沙羅。俺と、もう一度人生を歩んでくれ」
「……また、離れたりしない?」
「しない。たとえ君が怒っても、泣いても、隣から動かない」

 その言葉に、胸の奥の何かが音を立てて崩れ落ち、代わりに温かいものが満ちていった。

 気づけば、私は頷いていた。
 司の手が頬を包み、唇が重なる。
 長く触れていなかった温もりは、記憶よりもずっと鮮やかで、息をすることさえ忘れそうになる。

 唇が離れたあと、司は私を抱き寄せた。
「もう二度と、試したりしない。お前を信じる」
「……私も、疑わないようにする」

 窓の外で花火が上がった。
 偶然か必然か、その光が二人を包み、静かな誓いの夜を彩った。

 司は私の耳元で低く囁く。
「愛している。これからも、ずっと」

 その声を胸に刻みながら、私は彼の背に腕を回した。
 雨上がりの夜風が、窓越しに優しく頬を撫でる。

 すれ違いも、誤解も、嫉妬も――すべてを越えて。
 今、この夜に、私たちはもう一度始まった。

(完)