控室の空気は、静かすぎて息苦しかった。
さっきの会場の喧騒が嘘のように遠く、私と司の呼吸だけが響く。
「……試した、なんてよく言えるわね」
声は震えていた。怒りだけじゃない。胸の奥に渦巻く寂しさと安堵が混ざって、言葉を揺らしていた。
「試さないと、君が俺を見ることもなかった」
「そんなこと――」
「三年間、俺は君を失うのが怖くて、距離を置いた。結果は見ての通りだ」
彼の声が低く沈む。
私は唇を噛み、視線を逸らす。
距離を置いた理由が“恐れ”だったなんて、考えたこともなかった。
「……じゃあ、美香さんは?」
「俺の秘書だ。愛人なんて一度もなったことはない」
「でも、あなたといる写真は何度も見たわ」
「美香は、俺が信頼している仕事のパートナーだ。人目にどう映るかより、動きやすさを優先していただけだ」
「動きやすさ……?」
「君に余計な心配をさせないため、逆に距離を取ったつもりだった」
矛盾しているようで、それでも言葉の端々が真剣で、冗談ではないと分かる。
「だったら、どうして何も言わなかったの」
「言えば、君は義務感で俺に優しくするだろう。俺はそれを望まなかった」
沈黙が落ちた。
胸の奥に溜まっていたものが、少しずつ形を失っていく。
「……馬鹿みたい」
「そうだな」
「本当に、馬鹿」
司が一歩近づき、私の頬に手を添える。
その掌の温かさに、三年間の冷たい記憶が少しずつ溶けていくようだった。
「俺は、お前を愛している」
低く、しかしはっきりとした声。
瞳の奥に偽りはなかった。
「……そんな簡単に信じられない」
「信じなくていい。行動で示す」
彼はそう言うと、私の手を取って胸元に押し当てた。
鼓動が早い。
私のものと同じくらい、いや、それ以上に。
「……この鼓動が嘘だと思うか?」
「……わからない」
「なら、これから一緒に確かめればいい」
瞳を逸らすと、司はゆっくりと距離を詰め、額を私の額に重ねた。
「俺を、もう一度信じろ」
囁きが耳に落ち、心の奥で何かが解ける音がした。
その夜、私は司と同じ車で会場を後にした。
助手席から見える夜景は、以前と変わらないはずなのに、少し違って見える。
「送るだけだから、安心しろ」
「……安心なんてしてない」
「そうか」
短いやり取りの中に、柔らかい空気が流れていた。
ふと窓に映る司の横顔を見て、思わず口を開く。
「……私、あなたのこと、嫌いになれなかった」
「知ってる」
返ってきた言葉は、なぜか涙が出そうになるほど優しかった。
マンションの前に着き、車を降りる。
振り返ると、司はまだこちらを見ていた。
「何?」
「……また連絡する」
それだけ言って、車はゆっくりと走り去っていった。
手の中に残る温もりと、胸の奥に響く言葉。
完全に信じたわけじゃない。
でも、もう逃げたくはなかった。
さっきの会場の喧騒が嘘のように遠く、私と司の呼吸だけが響く。
「……試した、なんてよく言えるわね」
声は震えていた。怒りだけじゃない。胸の奥に渦巻く寂しさと安堵が混ざって、言葉を揺らしていた。
「試さないと、君が俺を見ることもなかった」
「そんなこと――」
「三年間、俺は君を失うのが怖くて、距離を置いた。結果は見ての通りだ」
彼の声が低く沈む。
私は唇を噛み、視線を逸らす。
距離を置いた理由が“恐れ”だったなんて、考えたこともなかった。
「……じゃあ、美香さんは?」
「俺の秘書だ。愛人なんて一度もなったことはない」
「でも、あなたといる写真は何度も見たわ」
「美香は、俺が信頼している仕事のパートナーだ。人目にどう映るかより、動きやすさを優先していただけだ」
「動きやすさ……?」
「君に余計な心配をさせないため、逆に距離を取ったつもりだった」
矛盾しているようで、それでも言葉の端々が真剣で、冗談ではないと分かる。
「だったら、どうして何も言わなかったの」
「言えば、君は義務感で俺に優しくするだろう。俺はそれを望まなかった」
沈黙が落ちた。
胸の奥に溜まっていたものが、少しずつ形を失っていく。
「……馬鹿みたい」
「そうだな」
「本当に、馬鹿」
司が一歩近づき、私の頬に手を添える。
その掌の温かさに、三年間の冷たい記憶が少しずつ溶けていくようだった。
「俺は、お前を愛している」
低く、しかしはっきりとした声。
瞳の奥に偽りはなかった。
「……そんな簡単に信じられない」
「信じなくていい。行動で示す」
彼はそう言うと、私の手を取って胸元に押し当てた。
鼓動が早い。
私のものと同じくらい、いや、それ以上に。
「……この鼓動が嘘だと思うか?」
「……わからない」
「なら、これから一緒に確かめればいい」
瞳を逸らすと、司はゆっくりと距離を詰め、額を私の額に重ねた。
「俺を、もう一度信じろ」
囁きが耳に落ち、心の奥で何かが解ける音がした。
その夜、私は司と同じ車で会場を後にした。
助手席から見える夜景は、以前と変わらないはずなのに、少し違って見える。
「送るだけだから、安心しろ」
「……安心なんてしてない」
「そうか」
短いやり取りの中に、柔らかい空気が流れていた。
ふと窓に映る司の横顔を見て、思わず口を開く。
「……私、あなたのこと、嫌いになれなかった」
「知ってる」
返ってきた言葉は、なぜか涙が出そうになるほど優しかった。
マンションの前に着き、車を降りる。
振り返ると、司はまだこちらを見ていた。
「何?」
「……また連絡する」
それだけ言って、車はゆっくりと走り去っていった。
手の中に残る温もりと、胸の奥に響く言葉。
完全に信じたわけじゃない。
でも、もう逃げたくはなかった。

