桜散る前に

商店街の復活から一か月が過ぎ、翔太と亜矢の関係はより深いものになっていた。

毎朝、翔太は桜屋に顔を出してから出勤するのが習慣になっていた。

「おはようございます」

「おはようございます、翔太さん」

亜矢が朝食の準備をしている姿は、まるで夫婦のような自然さがあった。

「今日のスケジュールは?」

「午前中は新しい体験プログラムの打ち合わせ、午後は来月のイベントの準備です」

翔太が答えると、亜矢は弁当を手渡した。

「お忙しそうですね。お体に気をつけてください」

「ありがとうございます」

翔太が弁当を受け取る時、二人の手が触れ合った。一瞬の接触だったが、二人とも少し照れた表情になった。

「あの…」

「はい?」

「今度の日曜日、お時間ありますか?」

翔太の提案に、亜矢の心臓が跳ねた。

「はい、大丈夫です」

「兼六園に行きませんか?久しぶりに二人きりで」

「喜んで」

亜矢の頬がほんのり赤くなった。

その様子を見ていた健一郎が、苦笑いを浮かべた。

「お前たち、そろそろ結婚のことを具体的に考えたらどうだ?」

突然の父の言葉に、二人は慌てた。

「お父さん!」

「何を照れている。もう大人なんだから、堂々としろ」

健一郎の言葉に、翔太は決意を新たにした。

実は、翔太は密かにプロポーズの準備を進めていた。

仕事の合間に、金沢市内の宝石店を回って婚約指輪を選んでいたのだ。

「こちらの指輪はいかがでしょう?」

店員が見せてくれたのは、桜の花をモチーフにした繊細なデザインの指輪だった。

「素晴らしいです」

翔太の目が輝いた。

「亜矢さんにぴったりです」

指輪のサイズを測るため、翔太は巧妙な作戦を立てた。

「亜矢さん、手が綺麗ですね」

ある日の夕方、二人で商店街を歩いている時に、翔太が突然言った。

「え?そんなことありません」

「いえ、本当に美しい手です」

翔太は自然に亜矢の手を取った。

「僕の手と比べてみましょう」

手のひらを合わせながら、翔太は亜矢の指の太さを記憶に留めた。

「翔太さんの手は大きくて、頼もしいですね」

亜矢の言葉に、翔太は胸が熱くなった。

「亜矢さんを守るための手です」

「素敵なことをおっしゃいますね」

二人は手を繋いだまま歩き続けた。

日曜日、約束通り二人は兼六園に出かけた。

「久しぶりですね、ここに来るのは」

亜矢は懐かしそうに園内を見回した。

「初めて愛を告白した場所です」

翔太も感慨深げだった。

「あの時は、まさかこんなに幸せになれるなんて思いませんでした」

二人はことじ灯籠のベンチに座った。

「翔太さん」

「はい?」

「東京にいた時、寂しくありませんでしたか?」

亜矢の質問に、翔太は正直に答えた。

「とても寂しかったです。でも、亜矢さんとの約束があったから頑張れました」

「私も同じです」

亜矢は翔太の腕に頭を預けた。

「翔太さんがいない間、何度も心が折れそうになりました」

「もう大丈夫です」

翔太は亜矢を優しく抱きしめた。

「これからは、ずっと一緒です」

夕日が池の水面を金色に染めている。

「美しい景色ですね」

「亜矢さんほどではありません」

翔太の言葉に、亜矢は顔を上げた。

「翔太さん…」

二人の顔が近づいていく。そして、静かにキスを交わした。

周りに人はいたが、二人だけの世界に包まれていた。

その夜、翔太は最終的な準備に取りかかった。

プロポーズの場所、タイミング、言葉。すべてを完璧に準備したかった。

「三年の約束まで、あと二か月」

翔太は手帳を見ながらつぶやいた。

「必ず、最高のプロポーズにする」

一方、亜矢も翔太の様子の変化に気づいていた。

「最近、翔太さんの様子が何か違う」

山田のおばさんに相談した。

「きっと、大切な準備をしてるのよ」

山田のおばさんは意味深に微笑んだ。

「大切な準備?」

「女の直感よ。もうすぐ素敵なことが起こるわ」

山田のおばさんの言葉に、亜矢の胸は高鳴った。

翌日、翔太は健一郎に相談を持ちかけた。

「実は、亜矢さんにプロポーズしたいと思っています」

「そうか、ついにその時が来たな」

健一郎は満足そうに頷いた。

「場所はどこで?」

「商店街の中央広場を考えています」

翔太の提案に、健一郎は驚いた。

「人目につく場所で?」

「はい。みんなに祝福してもらいたいんです」

翔太の想いに、健一郎は感動した。

「良いアイデアだ。みんなで協力しよう」

こうして、商店街全体でプロポーズをサポートすることになった。

田中夫妻は会場の装飾を、山田夫妻は特別な茶菓子を、他の店主たちもそれぞれの得意分野で協力することになった。

「みんな、張り切ってるわね」

美奈子の仏壇の前で、亜矢は母に報告した。

「お母さん、翔太さんが何か準備をしているみたいです」

「きっと良いことよ」

そう言ったような気がして、亜矢は微笑んだ。

ある夜、翔太は一人で商店街を歩いていた。

プロポーズのリハーサルをするためだった。

「亜矢さん、僕は…」

言葉を口にしてみるが、なかなかうまくいかない。

「緊張しすぎだな」

翔太は苦笑した。

その時、亜矢が現れた。

「翔太さん?こんな時間にどうしたんですか?」

「あ、亜矢さん…散歩です」

翔太は慌てて答えた。

「私も眠れなくて、散歩に出てきました」

亜矢は翔太の隣に立った。

「最近、翔太さんは何か悩みでもあるんですか?」

「悩みではありません」

翔太は亜矢を見つめた。

「むしろ、とても大切なことを考えています」

「大切なこと?」

「はい。亜矢さんとの未来についてです」

翔太の真剣な表情に、亜矢の心が震えた。

「私たちの未来…」

「もう少し待っていてください」

翔太は亜矢の手を握った。

「きっと、素晴らしい未来を一緒に築いていけると信じています」

亜矢は翔太の温かい手の感触に、幸せを感じていた。

「私も信じています」

夜空に星が輝いている。

二人の愛も、星のように美しく輝いていた。

そして、運命の日が、すぐそこまで迫っていた。