桜散る前に

翔太が東京転勤を断ってから一週間が過ぎた。

治療費の問題は依然として解決していなかったが、商店街の仲間たちが動き始めていた。

「みんなで美奈子さんを支えよう」

田中のおじさんが各店舗に呼びかけた結果、店主たちが自発的に募金活動を始めたのだ。

「高橋さんには内緒でやろう」

山田のおばさんが提案した。健一郎のプライドを考慮してのことだった。

「でも、商店街だけでは限界があります」

翔太は現実的な問題を口にした。集まりそうな金額を計算しても、必要額にはとても届かない。

「何か他に方法はないでしょうか?」

翔太は市役所に相談に行った。

「医療費の公的な支援制度について教えていただけませんか?」

「高額療養費制度がありますが、それでも月額十万円程度の自己負担は必要です」

市の福祉課職員の説明は厳しいものだった。

「他には…そうですね、民間の医療支援団体がいくつかありますが、支援を受けられる人数は限られています」

翔太は帰り道、偶然観光課の職員と出会った。

「西村さん、お疲れさまです」

「こんにちは」

「商店街の件で相談があるんです。実は、県の地域振興予算で、優秀な地域プロデューサーへの表彰制度を設けることになりまして」

「表彰制度?」

「はい。賞金も一千万円と高額です。ぜひ西村さんを推薦したいのですが」

翔太は驚いた。まさに必要な金額だった。

「でも、そんな大金を…」

「西村さんの功績は県内でも話題になっています。十分に受賞の可能性があります」

その夜、翔太は亜矢にこのことを報告した。

「表彰制度…素晴らしいじゃないですか」

亜矢の顔が明るくなった。

「でも、確実に受賞できるかどうか分からないんです」

「でも、希望が見えてきました」

翔太は亜矢の前向きな姿勢に励まされた。

翌日、商店街の店主たちに状況を報告した。

「それは良い知らせだな」

田中のおじさんが嬉しそうに言った。

「でも、結果が出るまで時間がかかるでしょう?」

山田のおばさんが心配そうに尋ねた。

「三か月程度はかかりそうです」

「その間、美奈子さんの治療が遅れるのは心配ね」

実際、美奈子の病状は待ったなしの状況だった。医師からは早急な治療開始を勧められている。

「とりあえず、治療は始めましょう」

健一郎が決断した。

「費用のことは後から何とかする」

「でも、お父さん…」

「命には代えられん」

健一郎の決意は固かった。

美奈子の本格的な治療が始まった。

手術は成功したものの、その後の抗がん剤治療は過酷だった。副作用で食事もままならず、髪も抜け落ちていく。

「お母さん、大丈夫?」

亜矢が病床で声をかけた。

「ありがとう、亜矢ちゃん」

美奈子は弱々しく微笑んだ。

「翔太さんは?」

「お仕事です。でも、毎日お見舞いに来てくれています」

「良い人ね…あの人となら、あなたは幸せになれる」

母の言葉に、亜矢の目に涙が浮かんだ。

「お母さんも一緒に幸せになりましょう」

「そうね…」

美奈子は娘の手を握った。

一方、翔太は表彰への申請書類の作成に追われていた。

商店街の再生実績、来客数の増加、経済効果の詳細。すべてを数字で示す必要があった。

「こんなに成果を上げていたんですね」

書類をまとめながら、翔太は改めて実感した。

年間来客数五万人、経済効果二億円、雇用創出三十人。確かに立派な実績だった。

「きっと大丈夫」

翔太は自分に言い聞かせた。

しかし、現実は甘くなかった。

申請から一か月後、県から連絡があった。

「今年度の表彰は、他の候補者に決定いたしました」

電話口での報告に、翔太は言葉を失った。

「しかし、西村さんの功績も高く評価されており、来年度は有力候補として…」

「来年度では遅すぎます」

翔太は絞り出すような声で答えた。

表彰制度への期待が断たれ、翔太は再び絶望的な気持ちになった。

その夜、亜矢に報告すると、彼女も落胆の色を隠せなかった。

「残念でしたね…」

「僕の力不足です」

翔太は自分を責めた。

「そんなことありません」

亜矢は翔太を励ました。

「きっと他に道があります」

その時、予想外のことが起こった。

商店街の成功が全国ニュースで取り上げられたのだ。

「地方の小さな商店街が驚異の復活」

テレビのニュースで商店街の様子が詳しく報道された。翔太と亜矢の取り組み、健一郎の和菓子作り指導、店主たちの協力。すべてが美しいストーリーとして紹介された。

放送後、全国から問い合わせが殺到した。

視察希望、コンサルティング依頼、メディア取材。翔太のもとには連日連絡が入った。

「西村さん、すごいことになってますね」

市の観光課職員が興奮気味に報告した。

「全国から注目されています」

そして、思わぬ申し出があった。

大手企業の社長から直接連絡が入ったのだ。

「西村さんの取り組みに感銘を受けました。ぜひお会いしたい」

翌週、その社長が金沢を訪れた。

「素晴らしい商店街ですね」

社長は商店街を見て回りながら感嘆した。

「これぞ本物の地域活性化です」

桜屋での和菓子体験も絶賛した。

「高橋さんの技術と人柄、翔太さんの企画力、完璧なコンビネーションですね」

その社長から、予想外の提案があった。

「うちの会社で、地域活性化事業部を新設します。西村さんに部長として就任していただきたい」

提示された条件は申し分なかった。年俸、勤務地の選択自由、そして…

「ご家族の医療費については、会社で全額負担いたします」

翔太は驚いた。

「でも、なぜそこまで…?」

「本物には価値があります」

社長は真剣な表情で答えた。

「西村さんの実績は、全国の地方都市のモデルケースになります。それだけの価値がある投資です」

翔太は美奈子の病室でこのことを報告した。

「それは素晴らしい話ね」

美奈子は嬉しそうに微笑んだ。

「これで治療費の心配もなくなります」

翔太の報告に、健一郎も安堵の表情を見せた。

「やはり、逃げずに頑張って良かったな」

「はい」

翔太は深く頷いた。

「最後まで諦めないことの大切さを学びました」

美奈子の表情が明るくなった。抗がん剤の副作用で苦しんでいた彼女にとって、家族の心配が軽減されることは何よりの薬だった。

「これで安心して治療に専念できます」

医師からも良いニュースが届いた。

「手術は成功しています。抗がん剤も効果を示しています」

「本当ですか?」

亜矢が喜びの声を上げた。

「はい。このまま順調に回復すれば、退院も近いでしょう」

病室に希望の光が差し込んだ。

翔太の新しい仕事も順調にスタートした。金沢をベースに全国の地域活性化プロジェクトに取り組むことになった。

「夢のような話です」

翔太は亜矢に報告した。

「やりがいのある仕事で、美奈子さんの治療費も心配いらない」

「本当に良かったです」

亜矢は心から嬉しそうだった。

「これで、三年後の約束も守れますね」

翔太は亜矢の手を取った。

「はい。必ず約束を果たします」

商店街にも活気が戻ってきた。美奈子の回復への期待と、翔太の成功への祝福で、みんなの表情が明るくなった。

「やっぱり、諦めちゃいけないのね」

山田のおばさんが感慨深げに言った。

「そうですね」

翔太は商店街を見回した。

「みんなで支え合えば、どんな困難も乗り越えられます」

希望の光が、再び商店街を照らし始めた。

美奈子の病気という大きな試練も、みんなの力で乗り越えようとしている。

愛と絆の力を、改めて実感していた。