四月の第一週、金沢は満開の桜に包まれていた。
「金沢伝統工芸商店街」の本格オープンから一週間が過ぎ、連日多くの観光客で賑わっている。桜屋の体験工房も予約でいっぱいで、健一郎は嬉しい悲鳴を上げていた。
「今日も満席ですね」
亜矢は予約表を確認しながら言った。午前、午後ともに二十名ずつの予約が入っている。
「ああ、ありがたいことだ」
健一郎は満足そうに頷いた。参加者たちの真剣な眼差しと、完成した和菓子を見る時の喜びの表情が、何より嬉しかった。
「でも、お父さんも疲れが見えますよ。少し休まれては?」
「まだまだ現役だ」
健一郎は笑ったが、確かに連日の指導で疲労は蓄積していた。
「明日は定休日ですから、ゆっくり休んでください」
翔太が工房に入ってきた。手には今朝の地元新聞がある。
「新聞に載りましたね」
「どれどれ」
健一郎が新聞を受け取ると、商店街の特集記事が大きく掲載されていた。
「『伝統と革新が調和した新しい観光スポット』…いい見出しじゃないか」
記事には、各店舗での体験プログラムの様子や、参加者の感想が詳しく紹介されている。
「おかげさまで、来月まで予約がほぼ埋まりました」
翔太は嬉しそうに報告した。
「特に外国人観光客からの人気が高くて、英語版パンフレットも追加印刷することになりました」
「本当に成功しましたね」
亜矢は感慨深げに言った。一年前には想像もできなかった光景だった。
午後の体験プログラムが終わり、参加者を見送った後、翔太は亜矢に声をかけた。
「亜矢さん、今日の夕方、お時間ありますか?」
「はい、大丈夫です」
亜矢の心臓が早鐘を打った。ついに、約束の時が来たのだ。
「それでは、兼六園でお待ちしています」
翔太は少し緊張した様子で言った。
「ことじ灯籠のところで、夕方六時に」
「はい」
亜矢は頬を染めながら答えた。
夕方、亜矢は心を込めて身支度を整えた。淡いピンクの着物に薄紫の帯。桜の季節にふさわしい装いだった。
「どこか出かけるの?」
美奈子が尋ねた。
「少し兼六園まで」
「翔太さんと?」
母の察しの良さに、亜矢は驚いた。
「はい」
「そう…」美奈子は微笑んだ。「気をつけて行ってらっしゃい」
兼六園は夕日に照らされた桜で美しく彩られていた。平日の夕方とあって、観光客も少なく、静かな雰囲気だった。
ことじ灯籠の近くに行くと、翔太が既に待っていた。いつものスーツではなく、カジュアルな服装だった。
「お待たせしました」
「いえ、僕も今来たところです」
翔太は亜矢の着物姿を見て、一瞬息を呑んだ。
「とてもお似合いです」
「ありがとうございます」
二人は霞ヶ池のほとりのベンチに座った。水面に映る桜が、ゆらゆらと揺れている。
「一年前を思い出しますね」
翔太がつぶやいた。
「初めてお話しした時も、桜の季節でした」
「そうでしたね」
亜矢も記憶を辿った。
「あの時は、まさかこんな関係になるとは思いませんでした」
「僕もです」
翔太は亜矢を見つめた。
「最初は敵同士だったのに」
「でも、すぐに翔太さんの真心が分かりました」
亜矢の言葉に、翔太は胸が温かくなった。
「亜矢さん」
「はい」
「僕が話したかったことというのは…」
翔太は一呼吸置いた。
「亜矢さんを愛しています」
静かな告白だった。池に映る桜がゆらめき、鳥たちのさえずりが聞こえる。
「翔太さん…」
亜矢の目に涙が滲んだ。
「僕は亜矢さんの勇気に憧れました。家族と決裂してまで信念を貫く強さに」
翔太の声には深い感情が込もっていた。
「そして、商店街の皆さんを愛する優しさに心を奪われました」
「私も…」
亜矢は震える声で答えた。
「私も翔太さんを愛しています」
翔太の表情が明るくなった。
「本当ですか?」
「はい」
亜矢は涙を拭いながら微笑んだ。
「翔太さんの誠実さ、みんなのために尽くす心、そして私を信じてくれた優しさ…すべてを愛しています」
翔太は亜矢の手を取った。
「亜矢さん、僕と結婚してください」
予想外の言葉に、亜矢は驚いた。
「結婚…」
「はい。亜矢さんと一緒に、これからも商店街を支えていきたいんです」
翔太の真剣な眼差しに、亜矢は心を奪われた。
「お父さんに許可をいただいてから、正式にお返事します」
「もちろんです」
翔太は嬉しそうに頷いた。
「明日、改めてお父様にお話しします」
二人は手を繋いで、桜並木を歩いた。夕日が桜の花びらを金色に染めている。
「夢のような一年でした」
亜矢がつぶやいた。
「絶望的な状況から始まって、こんなに幸せになるなんて」
「これからも一緒に、夢を実現していきましょう」
翔太の言葉に、亜矢は力強く頷いた。
桜屋に戻ると、健一郎と美奈子が店先で待っていた。
「お帰り」
美奈子が微笑んだが、健一郎の表情は複雑だった。
「お父さん、お母さん、お話があります」
亜矢が真剣な表情で言った。
「翔太さんと私…」
「まだ早い」
健一郎が厳しく言った。
「え?」
「結婚などという話は、まだ早すぎる」
健一郎の突然の反対に、亜矢は戸惑った。
「でも、お父さん。翔太さんのことは認めてくださったのでは…」
「仕事のパートナーとして認めることと、娘の結婚相手として認めることは別だ」
健一郎の声は冷たかった。
「翔太さん」
健一郎が翔太を見据えた。
「はい」
「お前はまだ独立したばかりで、経済的に不安定だろう?」
「それは…確かにそうですが」
翔太は答えに詰まった。
「娘を養っていけるのか?将来への保証はあるのか?」
健一郎の現実的な指摘に、翔太は言葉を失った。
「お父さん、そんな…」
亜矢が割って入ろうとした時、翔太が口を開いた。
「高橋さんのおっしゃる通りです」
翔太は深く頭を下げた。
「僕はまだ、亜矢さんを幸せにする資格がありません」
「翔太さん…」
「でも」
翔太は顔を上げた。
「必ず、認めていただけるよう努力します」
健一郎は翔太の真剣な眼差しを見つめていた。
「それなら、三年待て」
「三年ですか?」
「ああ。三年で事業を軌道に乗せ、経済的な安定を築け。それができたら、改めて話を聞こう」
亜矢は父の厳しい条件に愕然とした。しかし、翔太は頷いた。
「分かりました。三年後、必ずお認めいただけるよう頑張ります」
美奈子が心配そうに夫を見つめた。
「健一郎さん、三年は長すぎるのでは…」
「長くはない」健一郎は断固として言った。「結婚は人生の大事だ。軽々しく決めるものではない」
その夜、桜屋の居間は重い空気に包まれていた。
「お父さん、どうしてそんなに厳しいんですか?」
亜矢が涙を堪えながら尋ねた。
「翔太さんがどれだけ頑張ってくれたか、見ていたじゃないですか」
「だからこそだ」
健一郎は厳しい表情を崩さなかった。
「あの男の実力は認めている。だが、結婚となれば話は別だ」
「でも…」
「亜矢、お前はまだ若い。もう少し人生経験を積んでから決めても遅くはない」
健一郎の言葉に、翔太が口を開いた。
「高橋さんは正しいです」
「翔太さん」
「僕も、もっと成長してから亜矢さんにふさわしい男性になりたいと思います」
翔太の言葉に、亜矢は複雑な気持ちになった。
理解はできるが、三年という時間は長すぎるように感じられた。
窓の外では、夜桜が静かに輝いていた。
一年前の春、散りゆく桜を見ながら不安に駆られていた亜矢。
今は満開の桜のもとで愛を確認できたが、新たな試練が待っていた。
しかし、それもまた成長への道のりなのかもしれない。
翔太との愛が本物なら、三年の時を経てもきっと変わらないはずだ。
亜矢は決意を込めて翔太を見つめた。
「三年後、お父さんに認めてもらいましょう」
「はい」
翔太も力強く頷いた。
「必ず、亜矢さんを幸せにできる男性になります」
新たな目標ができた。
商店街の成功は第一歩に過ぎない。
本当の幸せを掴むまで、まだまだ道のりは続く。
しかし、二人なら乗り越えられる。
そう信じて、亜矢は新しい挑戦に向かう決意を固めた。
「金沢伝統工芸商店街」の本格オープンから一週間が過ぎ、連日多くの観光客で賑わっている。桜屋の体験工房も予約でいっぱいで、健一郎は嬉しい悲鳴を上げていた。
「今日も満席ですね」
亜矢は予約表を確認しながら言った。午前、午後ともに二十名ずつの予約が入っている。
「ああ、ありがたいことだ」
健一郎は満足そうに頷いた。参加者たちの真剣な眼差しと、完成した和菓子を見る時の喜びの表情が、何より嬉しかった。
「でも、お父さんも疲れが見えますよ。少し休まれては?」
「まだまだ現役だ」
健一郎は笑ったが、確かに連日の指導で疲労は蓄積していた。
「明日は定休日ですから、ゆっくり休んでください」
翔太が工房に入ってきた。手には今朝の地元新聞がある。
「新聞に載りましたね」
「どれどれ」
健一郎が新聞を受け取ると、商店街の特集記事が大きく掲載されていた。
「『伝統と革新が調和した新しい観光スポット』…いい見出しじゃないか」
記事には、各店舗での体験プログラムの様子や、参加者の感想が詳しく紹介されている。
「おかげさまで、来月まで予約がほぼ埋まりました」
翔太は嬉しそうに報告した。
「特に外国人観光客からの人気が高くて、英語版パンフレットも追加印刷することになりました」
「本当に成功しましたね」
亜矢は感慨深げに言った。一年前には想像もできなかった光景だった。
午後の体験プログラムが終わり、参加者を見送った後、翔太は亜矢に声をかけた。
「亜矢さん、今日の夕方、お時間ありますか?」
「はい、大丈夫です」
亜矢の心臓が早鐘を打った。ついに、約束の時が来たのだ。
「それでは、兼六園でお待ちしています」
翔太は少し緊張した様子で言った。
「ことじ灯籠のところで、夕方六時に」
「はい」
亜矢は頬を染めながら答えた。
夕方、亜矢は心を込めて身支度を整えた。淡いピンクの着物に薄紫の帯。桜の季節にふさわしい装いだった。
「どこか出かけるの?」
美奈子が尋ねた。
「少し兼六園まで」
「翔太さんと?」
母の察しの良さに、亜矢は驚いた。
「はい」
「そう…」美奈子は微笑んだ。「気をつけて行ってらっしゃい」
兼六園は夕日に照らされた桜で美しく彩られていた。平日の夕方とあって、観光客も少なく、静かな雰囲気だった。
ことじ灯籠の近くに行くと、翔太が既に待っていた。いつものスーツではなく、カジュアルな服装だった。
「お待たせしました」
「いえ、僕も今来たところです」
翔太は亜矢の着物姿を見て、一瞬息を呑んだ。
「とてもお似合いです」
「ありがとうございます」
二人は霞ヶ池のほとりのベンチに座った。水面に映る桜が、ゆらゆらと揺れている。
「一年前を思い出しますね」
翔太がつぶやいた。
「初めてお話しした時も、桜の季節でした」
「そうでしたね」
亜矢も記憶を辿った。
「あの時は、まさかこんな関係になるとは思いませんでした」
「僕もです」
翔太は亜矢を見つめた。
「最初は敵同士だったのに」
「でも、すぐに翔太さんの真心が分かりました」
亜矢の言葉に、翔太は胸が温かくなった。
「亜矢さん」
「はい」
「僕が話したかったことというのは…」
翔太は一呼吸置いた。
「亜矢さんを愛しています」
静かな告白だった。池に映る桜がゆらめき、鳥たちのさえずりが聞こえる。
「翔太さん…」
亜矢の目に涙が滲んだ。
「僕は亜矢さんの勇気に憧れました。家族と決裂してまで信念を貫く強さに」
翔太の声には深い感情が込もっていた。
「そして、商店街の皆さんを愛する優しさに心を奪われました」
「私も…」
亜矢は震える声で答えた。
「私も翔太さんを愛しています」
翔太の表情が明るくなった。
「本当ですか?」
「はい」
亜矢は涙を拭いながら微笑んだ。
「翔太さんの誠実さ、みんなのために尽くす心、そして私を信じてくれた優しさ…すべてを愛しています」
翔太は亜矢の手を取った。
「亜矢さん、僕と結婚してください」
予想外の言葉に、亜矢は驚いた。
「結婚…」
「はい。亜矢さんと一緒に、これからも商店街を支えていきたいんです」
翔太の真剣な眼差しに、亜矢は心を奪われた。
「お父さんに許可をいただいてから、正式にお返事します」
「もちろんです」
翔太は嬉しそうに頷いた。
「明日、改めてお父様にお話しします」
二人は手を繋いで、桜並木を歩いた。夕日が桜の花びらを金色に染めている。
「夢のような一年でした」
亜矢がつぶやいた。
「絶望的な状況から始まって、こんなに幸せになるなんて」
「これからも一緒に、夢を実現していきましょう」
翔太の言葉に、亜矢は力強く頷いた。
桜屋に戻ると、健一郎と美奈子が店先で待っていた。
「お帰り」
美奈子が微笑んだが、健一郎の表情は複雑だった。
「お父さん、お母さん、お話があります」
亜矢が真剣な表情で言った。
「翔太さんと私…」
「まだ早い」
健一郎が厳しく言った。
「え?」
「結婚などという話は、まだ早すぎる」
健一郎の突然の反対に、亜矢は戸惑った。
「でも、お父さん。翔太さんのことは認めてくださったのでは…」
「仕事のパートナーとして認めることと、娘の結婚相手として認めることは別だ」
健一郎の声は冷たかった。
「翔太さん」
健一郎が翔太を見据えた。
「はい」
「お前はまだ独立したばかりで、経済的に不安定だろう?」
「それは…確かにそうですが」
翔太は答えに詰まった。
「娘を養っていけるのか?将来への保証はあるのか?」
健一郎の現実的な指摘に、翔太は言葉を失った。
「お父さん、そんな…」
亜矢が割って入ろうとした時、翔太が口を開いた。
「高橋さんのおっしゃる通りです」
翔太は深く頭を下げた。
「僕はまだ、亜矢さんを幸せにする資格がありません」
「翔太さん…」
「でも」
翔太は顔を上げた。
「必ず、認めていただけるよう努力します」
健一郎は翔太の真剣な眼差しを見つめていた。
「それなら、三年待て」
「三年ですか?」
「ああ。三年で事業を軌道に乗せ、経済的な安定を築け。それができたら、改めて話を聞こう」
亜矢は父の厳しい条件に愕然とした。しかし、翔太は頷いた。
「分かりました。三年後、必ずお認めいただけるよう頑張ります」
美奈子が心配そうに夫を見つめた。
「健一郎さん、三年は長すぎるのでは…」
「長くはない」健一郎は断固として言った。「結婚は人生の大事だ。軽々しく決めるものではない」
その夜、桜屋の居間は重い空気に包まれていた。
「お父さん、どうしてそんなに厳しいんですか?」
亜矢が涙を堪えながら尋ねた。
「翔太さんがどれだけ頑張ってくれたか、見ていたじゃないですか」
「だからこそだ」
健一郎は厳しい表情を崩さなかった。
「あの男の実力は認めている。だが、結婚となれば話は別だ」
「でも…」
「亜矢、お前はまだ若い。もう少し人生経験を積んでから決めても遅くはない」
健一郎の言葉に、翔太が口を開いた。
「高橋さんは正しいです」
「翔太さん」
「僕も、もっと成長してから亜矢さんにふさわしい男性になりたいと思います」
翔太の言葉に、亜矢は複雑な気持ちになった。
理解はできるが、三年という時間は長すぎるように感じられた。
窓の外では、夜桜が静かに輝いていた。
一年前の春、散りゆく桜を見ながら不安に駆られていた亜矢。
今は満開の桜のもとで愛を確認できたが、新たな試練が待っていた。
しかし、それもまた成長への道のりなのかもしれない。
翔太との愛が本物なら、三年の時を経てもきっと変わらないはずだ。
亜矢は決意を込めて翔太を見つめた。
「三年後、お父さんに認めてもらいましょう」
「はい」
翔太も力強く頷いた。
「必ず、亜矢さんを幸せにできる男性になります」
新たな目標ができた。
商店街の成功は第一歩に過ぎない。
本当の幸せを掴むまで、まだまだ道のりは続く。
しかし、二人なら乗り越えられる。
そう信じて、亜矢は新しい挑戦に向かう決意を固めた。



