「……から、美羽ちゃんには…………だって」
 
「な……と? あの場で美羽が…………を見過ごせと言うのか」
 
「はいはい。もうその……で。美羽さんの……ですか?」

 
 なんだろう。
 口々に名前を呼ばれてる。
 
 この声は誰?
 家族でもクラスメイトでもない。近所の人でもない。
 
 でもどこか懐かしいような。
 私はこの声を……
 
 
「知って、る……?」
 
 
 最終的に、自分の声で目が覚めた。

 
 ……ここはどこだろう。
 木目の天井が見える。
 
 私は布団に寝かされているようだった。
 畳がほのかに香る。
 
 額がひんやりと冷たい。
 手をやれば、濡れたタオルが置かれていた。
 
 そうだ。手を怪我していたんだ。
 カラスのクチバシに傷つけられたんだから、丁寧に洗わなきゃ。
 消毒ってどうしよう?
 お医者さんに行ったほうがいいかな。保健所に連絡とかすべき?
 
 一気にいろんなことを考えながら怪我した手をかざす。
 
 ……あれ? もしかして、痛くない……?
 
「え……?」
 
 痛くないはずだ。

 
 だって傷が――ない。
 
 
「え、そんな、ええっ?」
 
 まさか逆の手だったかとそっちも見るけれど、そっちは本当に無傷だ。
 慌てて体を起こすと濡れタオルが手のひらに落ちた。
 
 痛くない。しみない。
 
「う、うそ……」
 
「嘘じゃない」

 足音もなく、すっと襖が開けられた。
 
 白っぽい着流しに身を包んだ男の子が立っている。
 知らないひとだ。着流しとよく似た髪の色。
 だけど、驚くのはまだ早かった。

 男の子は、透き通るような体をしていた。
 あの時、カラスから守ってくれた狼のように、向こう側が透けて見えてる、ぼんやりとした輪郭。
 
「……え?」
 
「美羽、目を覚ましたんだな。良かった」
 
「あ、あの」
 
 私が何も言えないうちに、彼は大股で入ってくると私の隣に膝を着いた。
 輪郭がぼんやりしているのに背の高さははっきりわかる。
 
 大きいなあ。180センチくらいあるかもしれない。
 
 そんなことを考えていると、怪我をしていた(はずの)手をそっと取られた。
 
 通り抜けない。存在しているみたいだ。
 けれど、彼の手は私の肌の色を透かしている。
 
 ……これって、ユーレイ?
 
 ぞくりと背筋が粟立つけれど、目の前で顔を伏せている彼には気づかれていないようだ。
 
「会いたかった」
 
 両手で包むように恭しく持ち上げられたその手の甲に、彼はゆっくりと――唇で、触れた。