鹿弥さんは耳に髪をかけてかすかに首を傾げた。

「ごきげんよう。美羽さん。俺は鹿弥と申します。以後お見知りおきを」
 
「ご……ごきげんよう?」
 
 ごきげんようなんて、漫画に出てくるお嬢様学校の挨拶でしか耳にしたことない。
 
「傷の痛みは、ないようですね」
 
「は、はい。あの……ひょっとして、あなたが?」
 
「ええ。僭越ながら俺が手当させて頂きましたよ」
 
 鹿弥さん、一人称は俺なんだ。
 すごくしっとりした中性的な魅力に溢れていて、見ようによっては女性に見える。
 そんなひとが「俺」。
 
 あ、どうしよう。ドキッとする。
 こういうのって……ギャップ萌えってやつ、だよね?
 
「鹿弥の治療はハイスペだからね、痕も残らないから安心してー」
 
「は、はい」
 
 痕も残らないって……
 腕のいい外科医とかドラマとかで見るけれど、あれだって結局縫い目が丁寧とか、縫った痕が引きつれないとかそういうのであって、傷跡がそっくりそのままないなんてことは……
 
「むー、なぁんかよそよそしいなあ」
 
 思考の渦に入りかけたところを、アルトボイスに引っ張りあげられる。
 はっと顔を上げると、しゃがみこんだ少年――計兎くんがほっぺをぷうとふくらませて頬杖をついていた。
 
「部屋、入っていーい?」
 
「っ、あ、はい」
 
 答えを聞くや否や、少年はつかつかと畳の上を進んで私の前であぐらをかく。
 そしてずいと覗き込んできた。
 
「なんか気づくこと、ない?」
 
「気づくこと……?」
 
 肌がきれいとか、髪がサラサラとか?
 女の子みたいなのに声はやっぱり低くて、男の子だよなあとぼんやり考える。
 
 そうそう。この目なんて、吸い込まれそうに綺麗な赤で……
 
「あ」
 
 目だ。
 あの時、跳びこんできたウサギ。
 同じ赤い目をしている。
 
「伝家の宝刀、しっぽふりふり……」
 
 記憶の奥からこぼれた呟きに、はたと我に返る。
 
 そうだ、そういえばそんなことを言っていたっけ。
 結局、しっぽふりふりにはお目にかかれずじまいだったけれど。
 
「そーう! あったりー! ボクは計兎! あいにくこの姿じゃしっぽはないけど、美羽ちゃんのご所望ならウサギになったらすーぐ見せたげるねっ」
 
 ぱあっと笑顔を見せてからのマシンガントーク。やっぱりあの時のウサギそっくりだ。
 
「よーしっ、今のボクは気分がいいから鹿弥にもお裾分けしてあげよう。ほーら鹿弥、かもーん」
 
 計兎くんが手招きすると、敷居の外で控えていた鹿弥さんがこちらに目線で尋ねてくる。
 
「ええと……どうぞ。入ってください」
 
「ありがとうございます。招かれずに女性の寝室に踏み入るだなんて狼藉、できませんので」
 
 私にだってわかる。
 後半は真神への痛烈な嫌味だ。
 
 静かに部屋へ入ってきた鹿弥さんに、真神は頬杖をつきながら背を向ける。
 
「拗ねないでくださいよ。大切なご挨拶の場なんですから」
 
「……わかってる」