「手芸部廃部……ですか」
 
 いつか来るかもしれない、と思っていた未来は、二学期の到来と共にあっさりやって来た。
 空調の効いている職員室にいるはずなのに、たらりと汗が背中を伝っていく。
 
東雲(しののめ)さんが部長として頑張ってるのはわかってるのよ? でも部員も少ないし、これといった実績もないでしょう」
 
 はーあ、なんてこれ見よがしなため息。
 
 授業中に私たち生徒がやらかしたら怒られること間違いなし。
 だけどそれを平然とやってのけたのは、ジャージ姿の手芸部顧問、大橋先生だ。
 
 羨ましいですね、先生って職業はー。
 
 椅子に座って私を見上げてくる瞼は重たそうに閉じかかっている。明らかに眠そうだ。
 そりゃそうだよ、今はお昼休み真っ只中。誰だってお昼寝のひとつやふたつ、したくなってトーゼン。
 
 ……まあ、そんな時間に私は呼び出されているんだけど。
 ついでに言うなら、私はまだお弁当食べてないんですけど!!
 
 お腹空いたー!!

 ……現実逃避しすぎた。
 
 ううん、現実逃避のひとつやふたつ、したくなる。
 
 私のオアシス、手芸部がなくなるなんて現実、そう簡単に「ハイわかりましたー」なんて、聞き分けよく返事できるわけがないじゃない!
 
 だからついつい思考があっちこっちに飛んでしまうのだ。
 お腹が空いてるせいもあるかもしれない、けど。
 うん。それは大いに、ある。
 
 
 首をふるふると振って大橋先生に向き直る。
 
 厳しすぎる現実を容赦なく突き付けてくるくせに、どこか他人事のように気だるげだ。
 
 確かにそうだろう。
 手芸部顧問といえど女テニと兼部で、どちらかと言えば――ううん、9対1の割合で女テニの指導に熱心な大橋先生は、文化部の末端である手芸部の顧問であることなんて忘れていると思っていた。
 
 そのまま忘れてくれていればなあ。
 私は校舎のどん詰まりにある多目的教室のすみっこで(一応ここが部室ね)、卒業までちまちまと布や糸と戯れていられたのに。

 現実逃避ばかりしてても埒が明かない。
 
 ぐっと拳を握りしめて気を付けをする。
 
 あの、と呼びかければ、やっぱり眠そうな視線が返ってきた。
 
「で、でも部員はいます。部活を構成するのは最低3人。私以外に4人が在籍していて、合計で5名にもなるんですよ」

 どうだ! と言わんばかりに手のひらをばーんと開いて先生に突きつける。
 けど、大橋先生は揺らがなかった。
 
「それ、東雲さん以外は兼部と幽霊部員でしょう」

 
 うっ、痛いところを。
 
 私の渾身の抵抗に速攻リターンエースを決めた大橋先生は、こちらがたじろいだのを見逃さなかった。
 在籍簿を取り出して、目の前でとんとんとひとりずつ名前を指先で叩く。
 
「副部長の魅上(みかみ)さん……彼女はまあそこそこ部に顔を出しているようだけど、演劇部と掛け持ちよね」
 
「彼女は、演劇部で使う小物とか、そういうものを作るために手芸部に入ってくれていて……」
 
「そう。彼女にとっては演劇部が最優先。そっちが忙しくなれば手芸部はおあずけでしょ」
 
「あう……」
 
「残るは相澤さん伊藤さん上原さん。この3人、書類上は手芸部らしいけど、私が顔を出した時に見かけたことなんて一度もないわ」
 
「せ、先生だって毎日いらっしゃるわけではないので、運悪くすれ違ってるだけかも」
 
「あら? 私が顧問としての仕事を怠ってるって言いたいの?」
 
 ぽんぽんと繰り返されるラリーは、重箱の隅ならぬコートの隅ばかりを狙うスタミナ戦法。
 右へ左へ振り回される相手は疲弊し、自滅する。
 やぶれかぶれで繰り出した正論まじりの反論も、口ごたえに格下げされてゲームセット。
 
 生徒は教師に逆らえない。圧倒的な権力差を痛感するだけだ。
 
 ……でも。
 
「兼部だろうと、部員は部員です。それに、実績がないならこれから作ります」
 
「東雲さん……?」
 
 窮鼠猫を噛む。
 スポーツの試合ならやり直しは許されないけれど、私はあいにくスポーツマンシップにのっとる部を率いてはいないのだ。
 
「今度の文化祭。そこで売上や集客、または学内SNSの反応がめざましければ、手芸部廃部を撤回してください」
 
 大橋先生の手から在籍簿をぱっと奪い取る。
 そう言って私は――東雲美羽(しののめみう)は、顧問に宣戦布告した。
 
 ひとりぼっちの私の手には、幽霊部員含む5人分の在籍簿。
 
 いわゆる崖っぷち、だった。