昼休み。教室はプリントと笑い声でふわふわしていた。
 後ろの席の彼は、喉に手を当ててかすれた息だけ。声がほとんど出ない。

 痛いのに無理して笑ってるのが分かる。

「ねえ、“帰り道だけ彼氏”、続行中〜?」
 友だちの冷やかしに、私は笑って首を振った。
 もう終わりと考えると涙がでそうになる。

 チャイム。午後の授業は、とても長く感じた。



 放課後、昇降口。
 彼が私の肩口を指さす。

「……」
(声は出ない代わりに、指が言う)タグ、出てる係。
 そっとパーカーのタグを中へ押し込む。その一秒だけ距離が近い。

 彼はスマホを短く打つ。

〔“帰り道だけ彼氏”は、今日も続ける。いい?〕

 また、彼はスマホに短く打つ。

〔勇者、同行します〕

 私は、涙目になるのを我慢して、笑って、指を三本立てる。
「新ルール、三つ。
 ①明るい道を選ぶ。
 ②家に入って**“セーブ完了”を送る。
 ③手は——小指だけ**」

 彼は少しびっくりして、うなずいて、画面に了解のスタンプを小さく置いた。



 校門の外。フェンスの上に、黒い影。
 キラーが尾をまっすぐ立て、私たちを見下ろしている。
 その後ろに、見張り隊がぽつぽつと並んだ。

「隊長、ありがと。ここからは——」

 彼のスマホが先に機械的にしゃべった。

「守りは交代で。これからは俺がする」

 キラーは尾を一度だけピンと敬礼みたいに立て、音もなく身を返す。
 黒い列は、夕方の町へ静かに散開した。



 住宅街へ続く明るいルートへ下りる。
 二歩目で、歩幅がそろう。
 風がパーカーの袖をめくって、袖メーターは3/5。指が前より出ている。

「ワンチャン、今日から……」
 言いかけて、私は笑った。
 彼の画面が先回りする。

〔本番=本物、さっき決めた〕

「うん。——じゃあ、本物で」

 角を曲がるたびに、怖かった影がただの影に戻っていく。
 生け垣の奥から、低い喉鳴り——は、もう聞こえない。

 家の門前。

 二人は立ち尽くすす

 彼がスマホを焦りながら打つ指が滑ってる

〔今日は声が出ない。でも、ちゃんと伝えたいことがある〕

 私は彼を見る。彼は小さくうなずく。

 私はLINEを開いた。

〔実は、ずっと好きだった〕

 画面の白が少しだけ眩しい。私は息を一度だけ吸って、打つ。

〔私も〕

〔明日かも勇者できる〕

彼のスマホを打つ指が滑りまくってる。短い返信。

〔任せろ!〕

 彼は玄関から二歩下がって立つ。私は鍵を回し、靴を脱いで上がる。内鍵ガチャ/チェーンカチャ。
 スマホを出して、打つ。

〔セーブ完了〕

 ガラス越しに、彼が親指を立てる。返事はいらない。
 扉を閉めかけたとき、画面がもう一度だけ震いた。

〔明日、声でちゃんと言う。今日は文字で〕

 胸の鼓動が、さっきより少しだけ速い。

〔うん、待ってる〕

 送信。扉を閉める。
 外の路地に、並ぶ二つの影。
 小指が触れてた感触がいつまでも残っていた。