土曜の午後。集合場所の校門で、彼がメモ用紙を掲げた。
「本日のクエスト:商店街の渋滞突破」
「はいはい。報酬は?」
「相棒の安全。あと、ポテト一口」
「後者が本音」

 私は弟のパーカーとキャップ。彼はいつものように車道側へ回り込む。買い出しリストには〈画用紙・マステ・両面テープ・輪ゴム〉。文化祭前でもないのに、係の仕事は妙に多い。

 最初の文具店。入口の鈴がチリンと鳴る。
「白のB3、十枚ください」
 レジで、私と彼のポイントカードが同時にニョキと出た。
「重ねがけ不可です」
「現金で払います」
 店員さんが笑って、メモ用紙用にマステの試供を一巻きくれた。経験値+1、と彼が口の形だけで言う。

 通りに出ると、人が多い。アーケードでは子どもイベントの風船がゆらゆら。
「袖メーターチェック」
 彼が私の袖口を指さす。長すぎるパーカーの袖から、指先が二段ぶん顔を出している。
「今日は2/5」
「満点が何なのか知らないけど」
 彼は何か言いかけて、飲み込んだ。「いや、なんでもない」

 二軒目の雑貨店。マステの色で迷って、私はつい言ってしまう。
「ワンチャン値切れるかな」
「可能性はあります、でどうでしょう」
「はい、男子語リハビリありがとうございました」

 レジを出てすぐ、路地の出口で人流が一気に押し寄せる。
 肩がぶつかる気配。思わず身をすくめた瞬間、彼の手が反射で私の手を取った。
 手のひらの温度、指のかたち。
 ——一歩。
 人波を抜けた場所で、彼はそっと手を離す。
 同時に、ふたりの口から小さく「……あ」。
 耳の奥が熱い。喉の奥が、甘くしびれる。

 何事もなかったように歩き出す。アーケードの天井近く、看板の上で黒い影が尾をひと振りしたように見えた。風かもしれない。たぶん。

 三軒目、八百屋。輪ゴムはサービスで山盛り。
「太っ腹」「商店街の種族、優しい」
 会計を終えて外に出ると、どこかから低い喉鳴りみたいな音が、一度だけ。
 彼は何も言わない。代わりに、通りの角でタグ出てる係を発動して、私のパーカーのタグをそっと押し込んだ。距離が近い一秒。心臓が、また一枚、ページをめくる。

 住宅街へ入る。ブロック塀の影が斜めに伸び、買い出し袋が手の中で揺れる。
「リスト、コンプリート?」
「コンプ。ドロップ品:輪ゴム山」
「報酬は?」
「相棒の笑顔。あとポテト——」
「却下」
「交渉決裂」

 角を二つ曲がると、私の家。門柱の表札が白く光る。
 玄関の前、いつもの位置で彼が立ち止まった。
「ここまで」
「うん」

 鍵を回して扉を開け、靴を脱いで上がる。内鍵ガチャ/チェーンカチャ。スマホを取り出して、短い一行。

〔入った〕

 ガラス越しに、彼の親指がすっと立つ。返事はしない。そう決めたから。
 扉を閉めかけたところで、路地の生け垣がカサと鳴った。
 耳を澄ます。静か。冷蔵庫のモーター音だけ。

 扉を閉め、袋を床に置く。スマホが一度、震えた。

〔お〕

 私は笑って、一文字で返す。

〔け〕

画面が暗くなる。指先に、さっきの温度がまだ少し残っていた。
買い出し袋の輪ゴムは、山。胸の鼓動が、さっきより少しだけ速かった。