籠姫が宮廷を去り、陛下が私に誓いの指輪をはめてくださってから、初めての朝。
部屋の窓から差し込む陽光はやわらかく、どこか匂い立つような温もりがあった。
寝台の横に置かれた小さな花瓶には、昨夜陛下が庭から摘んでくれたすみれが一輪。
その紫色を眺めるだけで、胸の奥がゆるやかに満たされていく。
「皇后陛下、お目覚めでしょうか」
扉の外から、侍女ティナの声がした。
「ええ、今起きたところ」
支度を整えて大広間へ向かうと、そこには珍しく朝から座している陛下の姿があった。
「おはようございます、陛下」
「……うむ。座れ」
彼は私の椅子を引き、自然に手を差し出す。そのさりげない仕草が、以前よりずっと近い距離を感じさせた。
「今朝は、そなたの好きな甘い果実を用意させた」
銀皿に盛られた熟れた果実が、朝の光を浴びて輝いている。
「ありがとうございます。……あの、陛下がこうして朝食をご一緒くださるのは珍しいですね」
「政務は後回しだ。たまには、な」
その口調は淡々としているのに、金の瞳にはかすかな柔らかさが宿っていた。
食事を終えると、陛下は庭へ出ようと私を誘った。
春の花々が咲き始めた中庭には、昨日よりも多くのすみれが顔を覗かせている。
「……あれは温室で育てたものだ。そなたが気に入ったと聞いて、数を増やした」
「まあ……こんなに」
小さな紫の花畑に、思わず足を踏み入れる。
陛下は私の後ろから、指輪をはめた左手をそっと握った。
「これからも、共に季節を見よう」
その低い声が、春の空気の中で不思議と鮮やかに響く。
宮廷の人々の視線も、以前のような刺々しさはなくなっていた。
廊下ですれ違う文官が、軽く会釈をしてくれる。侍女たちの表情にも、緊張より安堵の色が増えた。
籠姫が残していった影は完全には消えていないが、確かに少しずつ、変わっている。
夕暮れ時、私は政務を終えた陛下と執務室で向かい合った。
「今日一日、どうだった?」
「……穏やかでした。こんなに心安らぐ一日が来るなんて、思っていませんでした」
「それが、これからの日常になる」
そう言って、彼は私の手を取り、指輪の宝石に口づけた。
夜、部屋の窓から庭を見下ろすと、月明かりの中ですみれが揺れていた。
あの日から、私の世界は確かに変わった。
この人と共に歩む日々は、まだ始まったばかり。
けれど私はもう、孤独でも、怯えてもいなかった。
「……おやすみなさい、陛下」
小さく呟き、そっと目を閉じる。
新しい日々が、静かに、そして確かに続いていく――。

