茶会での一件から、宮廷の噂は一時的に収まった。
だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
ある日の午後、侍女ティナが蒼白な顔で駆け込んでくる。
「皇后陛下……! 籠姫様が、今夜“祝宴”を開くと……陛下にも正式な招待が」
「祝宴?」
「はい……“豊穣の儀”と称して……でも、噂では……」
ティナは言葉を濁したが、その表情がすべてを物語っていた。
籠姫は、また何かを仕掛けるつもりだ。
私は深く息を吸い、静かに告げる。
「行くわ。……陛下と共に」
祝宴の会場は、宮廷北翼の大広間だった。
金糸を編み込んだ赤い絨毯、燭台の灯が天井に反射し、無数の影を落とす。
中央の高座には、白銀のドレスをまとった籠姫エルミナが座していた。
その微笑みは、氷のように冷たく、艶やかだった。
「まあ、皇后陛下。陛下とご一緒にいらしてくださったのですね」
「お招き、感謝します」
私が礼を取ると、エルミナはわざとらしく手を叩いた。
「皆さま、せっかくですから――皇后陛下に、この豊穣の舞をご披露いただきましょう」
ざわめきが広がる。
豊穣の舞は、婚姻を祝う舞でもあるが、同時に“子を授かるための祈り”としても知られていた。
――つまり、これを踊らされれば「未だ皇帝の寵を得ていない」という意味を、宮廷全体に晒すことになる。
ティナが背後で息を詰める。
「皇后陛下、お断りを――」
「いいえ」私は静かに首を振った。
逃げることは、彼女の思うつぼだ。
舞台に立つと、無数の視線が注がれた。
楽師が竪琴の弦をはじき、笛が低く響く。
私は前世で覚えた舞のリズムと、この世界で学んだ所作を合わせ、ゆっくりと踊り始めた。
途中、背後から低く響く声。
「……止めよ」
振り返ると、カリス陛下が舞台へ上がってきていた。
「この舞は、皇后一人で踊るものではない」
そう言うと、私の手を取る。
会場がどよめいた。
皇帝が誰かと舞うなど、滅多にない。
彼の大きな手に導かれ、私の動きは自然と変わる。
彼の瞳はまっすぐ私を捉え、微かに口元が緩んでいた。
舞が終わると、広間に一瞬の静寂が訪れ、その後、拍手が爆発する。
エルミナの顔には、笑顔の仮面が貼り付いたままだったが、その目だけは怒りで揺れていた。
祝宴が終わり、回廊を歩く二人きりの時間。
「……助けてくださって、ありがとうございます」
「助けたわけではない。あれは、余の望みだ」
「望み……?」
「そなたと共に舞うこと。それだけだ」
胸の奥が熱くなる。
籠姫の罠は完全には終わらないだろう。
それでも――今日、彼が示した姿は、宮廷全体に確かな印象を刻んだ。
「そなたは、余の皇后だ。誰が何を言おうと、それは変わらぬ」
その言葉は、夜の静けさよりも深く、私の心に沁みていった。
部屋に戻った私は、窓辺のすみれにそっと触れる。
強い風に揺れながらも、花は真っすぐに咲いていた。
――私も、そうありたい。
次の嵐が来るまでに、もっと強く。
だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
ある日の午後、侍女ティナが蒼白な顔で駆け込んでくる。
「皇后陛下……! 籠姫様が、今夜“祝宴”を開くと……陛下にも正式な招待が」
「祝宴?」
「はい……“豊穣の儀”と称して……でも、噂では……」
ティナは言葉を濁したが、その表情がすべてを物語っていた。
籠姫は、また何かを仕掛けるつもりだ。
私は深く息を吸い、静かに告げる。
「行くわ。……陛下と共に」
祝宴の会場は、宮廷北翼の大広間だった。
金糸を編み込んだ赤い絨毯、燭台の灯が天井に反射し、無数の影を落とす。
中央の高座には、白銀のドレスをまとった籠姫エルミナが座していた。
その微笑みは、氷のように冷たく、艶やかだった。
「まあ、皇后陛下。陛下とご一緒にいらしてくださったのですね」
「お招き、感謝します」
私が礼を取ると、エルミナはわざとらしく手を叩いた。
「皆さま、せっかくですから――皇后陛下に、この豊穣の舞をご披露いただきましょう」
ざわめきが広がる。
豊穣の舞は、婚姻を祝う舞でもあるが、同時に“子を授かるための祈り”としても知られていた。
――つまり、これを踊らされれば「未だ皇帝の寵を得ていない」という意味を、宮廷全体に晒すことになる。
ティナが背後で息を詰める。
「皇后陛下、お断りを――」
「いいえ」私は静かに首を振った。
逃げることは、彼女の思うつぼだ。
舞台に立つと、無数の視線が注がれた。
楽師が竪琴の弦をはじき、笛が低く響く。
私は前世で覚えた舞のリズムと、この世界で学んだ所作を合わせ、ゆっくりと踊り始めた。
途中、背後から低く響く声。
「……止めよ」
振り返ると、カリス陛下が舞台へ上がってきていた。
「この舞は、皇后一人で踊るものではない」
そう言うと、私の手を取る。
会場がどよめいた。
皇帝が誰かと舞うなど、滅多にない。
彼の大きな手に導かれ、私の動きは自然と変わる。
彼の瞳はまっすぐ私を捉え、微かに口元が緩んでいた。
舞が終わると、広間に一瞬の静寂が訪れ、その後、拍手が爆発する。
エルミナの顔には、笑顔の仮面が貼り付いたままだったが、その目だけは怒りで揺れていた。
祝宴が終わり、回廊を歩く二人きりの時間。
「……助けてくださって、ありがとうございます」
「助けたわけではない。あれは、余の望みだ」
「望み……?」
「そなたと共に舞うこと。それだけだ」
胸の奥が熱くなる。
籠姫の罠は完全には終わらないだろう。
それでも――今日、彼が示した姿は、宮廷全体に確かな印象を刻んだ。
「そなたは、余の皇后だ。誰が何を言おうと、それは変わらぬ」
その言葉は、夜の静けさよりも深く、私の心に沁みていった。
部屋に戻った私は、窓辺のすみれにそっと触れる。
強い風に揺れながらも、花は真っすぐに咲いていた。
――私も、そうありたい。
次の嵐が来るまでに、もっと強く。

