夏休みも、もう終わりに近づいていた。
私は、あの始まりの日にもらったLINEをまだ大切に残していた。
画面に並ぶたった一行。
『夏祭り、一緒に行こうぜ』
返事をしてからいくつもの日が過ぎた。
部活もあったし、プールにも行った。ユリとふざけ合った七夕の短冊も、今は笹から外されているだろう。
そんな毎日を重ねて――気づけば、夏祭りの日はもう目前だった。
部屋いっぱいに、夏の匂いがひろがっていた。
押し入れから引っ張り出した紺色の浴衣。白い朝顔の模様が散っていて、見ているだけなら涼しげなのに、着てみるとどうにも落ち着かない。裾がねじれて、帯はすぐ緩んでしまう。
「ほら、貸してみなさい」
母が後ろから手を差し込んで、器用に結び目を作ってくれる。
「……なんでそんなに慣れてるの」
「何年母親やってると思ってるのよ」
思わず笑ってしまうと、母は「写メ撮ってカイくんに送りなさいよ」と茶化した。
「やめて!」と言い返したけど、心臓は跳ねたまま。
鏡の前に立ち、スマホを取り出す。ユリに相談しようと角度を探しながら一枚。
――送信。のつもりだった。
でも、親指が滑った。
《送信済み》
上に浮かんだ名前は、ユリじゃなかった。
《カイ》
「……えっ」
血の気が引く。
慌てて長押しし、送信を取り消す。
グレーの表示が残る。
《メッセージの送信を取り消しました》
数秒後。既読。
指先が汗ばむ。
『今の、俺に?』
来た。
どうしよう。どう返す?
『ち、違う! ユリに送るやつ!』
必死に打ち込んで送信。心臓が痛いくらい跳ねる。
しばらくの沈黙のあと、短い返事。
『……でも似合ってた』
「っ……!」
息が止まった。スマホを落としそうになる。
鏡の中の自分は頬を真っ赤に染めて、笑っているのか泣きそうなのか自分でもわからない顔をしていた。
「なに? 顔まで浴衣の色に合わせてどうしたの」
母が振り返って笑う。
「ち、ちがうから!」
私はスマホを胸に抱きしめ、畳にぺたんと座り込む。
取り柄なんてないはずの私に向けられた、その短い言葉。
たったそれだけで、浴衣が特別なものに変わってしまった。
そのとき、スマホが再び震えた。今度はユリ。
《ねえ、帯どんな色にしたの?写メ!》
「……もう、どっちに送ればいいのよ」
苦笑しながら、新しい角度で撮ってユリに送り直す。
《やば、可愛い。帯ミント色正解!》
《でもその歩き方はぎこちないw》
《……当日こけるなよ?》
私は画面を見て小さく笑った。
そして気づく。――カイのトーク画面に、小さく残るグレーの一行。
《メッセージの送信を取り消しました》
それが部屋の暗さよりもずっと胸の奥をざわつかせる。
枕元でスマホを握りしめ、文字を打ちかけては消す。
『似合ってるって……ほんとに思った?』
『当日、笑わないでよ』
『わたし……楽しみにしてる』
送信ボタンの上で指が止まる。
結局、全部消してしまった。
代わりに眠るクマのスタンプをひとつ。
すぐに既読。
『おやすみ。転ばないようにな、朝顔』
朝顔。
名前で呼ばれるより、もっとくすぐったい。
私は布団に顔を埋め、小さな笑いをもらした。
私は、あの始まりの日にもらったLINEをまだ大切に残していた。
画面に並ぶたった一行。
『夏祭り、一緒に行こうぜ』
返事をしてからいくつもの日が過ぎた。
部活もあったし、プールにも行った。ユリとふざけ合った七夕の短冊も、今は笹から外されているだろう。
そんな毎日を重ねて――気づけば、夏祭りの日はもう目前だった。
部屋いっぱいに、夏の匂いがひろがっていた。
押し入れから引っ張り出した紺色の浴衣。白い朝顔の模様が散っていて、見ているだけなら涼しげなのに、着てみるとどうにも落ち着かない。裾がねじれて、帯はすぐ緩んでしまう。
「ほら、貸してみなさい」
母が後ろから手を差し込んで、器用に結び目を作ってくれる。
「……なんでそんなに慣れてるの」
「何年母親やってると思ってるのよ」
思わず笑ってしまうと、母は「写メ撮ってカイくんに送りなさいよ」と茶化した。
「やめて!」と言い返したけど、心臓は跳ねたまま。
鏡の前に立ち、スマホを取り出す。ユリに相談しようと角度を探しながら一枚。
――送信。のつもりだった。
でも、親指が滑った。
《送信済み》
上に浮かんだ名前は、ユリじゃなかった。
《カイ》
「……えっ」
血の気が引く。
慌てて長押しし、送信を取り消す。
グレーの表示が残る。
《メッセージの送信を取り消しました》
数秒後。既読。
指先が汗ばむ。
『今の、俺に?』
来た。
どうしよう。どう返す?
『ち、違う! ユリに送るやつ!』
必死に打ち込んで送信。心臓が痛いくらい跳ねる。
しばらくの沈黙のあと、短い返事。
『……でも似合ってた』
「っ……!」
息が止まった。スマホを落としそうになる。
鏡の中の自分は頬を真っ赤に染めて、笑っているのか泣きそうなのか自分でもわからない顔をしていた。
「なに? 顔まで浴衣の色に合わせてどうしたの」
母が振り返って笑う。
「ち、ちがうから!」
私はスマホを胸に抱きしめ、畳にぺたんと座り込む。
取り柄なんてないはずの私に向けられた、その短い言葉。
たったそれだけで、浴衣が特別なものに変わってしまった。
そのとき、スマホが再び震えた。今度はユリ。
《ねえ、帯どんな色にしたの?写メ!》
「……もう、どっちに送ればいいのよ」
苦笑しながら、新しい角度で撮ってユリに送り直す。
《やば、可愛い。帯ミント色正解!》
《でもその歩き方はぎこちないw》
《……当日こけるなよ?》
私は画面を見て小さく笑った。
そして気づく。――カイのトーク画面に、小さく残るグレーの一行。
《メッセージの送信を取り消しました》
それが部屋の暗さよりもずっと胸の奥をざわつかせる。
枕元でスマホを握りしめ、文字を打ちかけては消す。
『似合ってるって……ほんとに思った?』
『当日、笑わないでよ』
『わたし……楽しみにしてる』
送信ボタンの上で指が止まる。
結局、全部消してしまった。
代わりに眠るクマのスタンプをひとつ。
すぐに既読。
『おやすみ。転ばないようにな、朝顔』
朝顔。
名前で呼ばれるより、もっとくすぐったい。
私は布団に顔を埋め、小さな笑いをもらした。


