不幸を呼ぶ男 Case.2


【深夜・品川埠頭 第七倉庫】

埠頭の闇を
一台の、目立たない国産車が、切り裂くように走ってくる
そのヘッドライトが
一台だけ停まっている、黒いセダンを照らし出した
彩音は
その車の前に、自分の車を停めた
車内から、璃夏が滝沢に報告する
璃夏:『……桐生院彩音、来ました』
倉庫の中
滝沢は、明日香にだけ聞こえる声で呟いた
滝沢:「……女帝の、お出ましだ」
琉星:「ママ!」
その声を聞きつけ
彩音は、車のドアを蹴破るようにして飛び出し
倉庫の中へと、駆け込んできた
滝沢は、すっと、鉄骨の影に身を隠す
彩音:「琉星!」
彩音は、息子に駆け寄ろうとする
だが
その動きは、闇の中から現れた、明日香によって阻まれた
彼女は、琉星の首筋に
音もなく、ナイフの冷たい刃を、突きつけていた
明日香:「それ以上、こちらへ来ないでいただけますか」
その声は
かつて、赤坂の夜を支配した
東条響の、完璧にコントロールされた声だった
彩音:「……お前が!」
明日香:「ええ、そうですわ」
明日香:「私が、あなたがた親子に5年前に苦しめられた東条 響」
明日香:「そして、あなたの息子さんが殺した、斉藤未香の姉、明日香です」
彩音:「……あの時、潰しておくべきだった…!」
明日香:「まだ、ご自分たちの立場が、お分かりになっていないようですわね」
明日香の持つナイフが
琉星の首筋に、わずかに、ほんの数ミリ食い込む
一筋の、赤い血が、たらりと流れた
琉星:「痛い!痛いよママァ!助けて!」
その、情けない息子の悲鳴に
女帝の、完璧な仮面が、完全に剥がれ落ちた
彩音:「わかった!わかったわ!」
彩音:「だから、その子を傷つけないで!お願い!」
彼女が、ただの母親の顔で懇願した
その時だった
倉庫の最も深い闇の中から
一人の警察官が、ゆっくりと歩いてくる
滝沢だった
彩音は、その姿を見て
一瞬だけ、安堵の表情を浮かべた
彩音:「あなた、警察官でしょ!?」
彩音:「この女を、早く何とかしてちょうだい!逮捕なさい!」
滝沢:「いや」
滝沢:「俺は、あんたに雇われた、殺し屋だ」
彩音:「だ、だったら、早く殺ってちょうだい!」
彩-音:「この女を!今すぐよ!」
彼女は、もはや、見境がなかった
ただ、息子を救うためだけに
獣のように、叫んでいた
滝沢は、ゆっくりと、明日香に近づく
そして
その額に、至近距離で、銃口を向けた
彩音の目に、一瞬だけ、勝利の光が宿る
だが
明日香は、その銃を
すっと、まるで、そこにあるのが当たり前だったかのように
あまりに自然な動きで、滝沢の手から奪い取った
滝沢:「……わりぃな」
滝沢:「殺すのは、失敗しちまった」
彩音:「なっ……!何を、言っているの!?」
彩音:「あなたたち、グルなの!?」
滝沢:「失敗しちまったから、成功報酬分の金は、いらねぇ」
彩音:「……詐欺じゃない!」
滝沢:「じゃあ、本物の警察に言ってみろ」
滝沢:「『伝説の殺し屋に、詐欺られました』ってな」
彩音:「なっ……!ぐっ……!」
明日香は
滝沢から奪った銃を
今度は、泣きじゃくる琉星の眉間に、突きつけた
明日香:「……どうします?」
明日香:「桐生院彩音様」
その声は
悪魔の囁きのように
静かな倉庫に、響き渡った
彩音:「な……何が、望みなの……?」
女帝は
完全に、ひれ伏していた
ただの、無力な、母親になっていた