不幸を呼ぶ男 Case.2


【深夜・麻布警察署へ向かう車内】

深夜の東京を
一台のセダンが
音もなく滑っていく
運転席には璃夏
助手席には明日香
そして後部座席には
完璧に看守「窪田」になりすました
滝沢が座っていた
明日香:「……本当に、警察署から、人を一人、連れ出せるものなんですの?」
その、当然の疑問に
運転しながら、璃夏が答えた
璃夏:「はい。そこが、今回の作戦の、唯一の隙です」
璃夏は
この作戦のために
日本の警察組織のシステムを
徹底的に、調べ上げていた
璃夏:「桐生院琉星ほどの重大事件の容疑者は」
璃夏:「警視庁本部の、捜査一課が、捜査を担当します」
璃夏:「ですが、容疑者の身柄は、必ずしも、警視庁本部には置かれません」
璃夏:「事件が起きた場所を管轄する、所轄の警察署」
璃夏:「その中にある『留置所』に、一時的に拘束されるのが、普通なんです」
明日香:「……つまり」
璃夏:「はい。琉星の身柄は今、警視庁本部ではなく」
璃夏:「この、麻布警察署の留置所にあります」
璃夏:「そして、滝沢さんが変装した窪田は、その麻布署の警察官です」
やがて
車は、目的地の前に着いた
ライトに照らし出された
巨大な建物
麻布警察署
それは、正義の砦
そして、これから始まる、無法の舞台
滝沢:「……着いたか」
後部座席から
窪田の声がした
滝沢は、後部座席の窓から
自らがこれから潜入する、敵の本拠地を
冷たい目で、観察していた
璃夏:「はい。5分後に、例の『移送命令』のデータを、署内のネットワークに流します」
滝沢:「わかった」
滝沢は
車から、降りた
その瞬間
彼の纏う空気が、変わった
最強の殺し屋の気配は、完全に消え
そこにはただ
これから夜勤に向かう
少し猫背で
人生に疲れたような
冴えない、中年警察官の窪田がいるだけだった
彼は
一度も、振り返ることなく
麻布警察署の、通用口へと
その、だるそうな足取りで
消えていった



【新宿・雑居ビルの屋上】

冷たい雨が
アスファルトを黒く濡らしていた
石松は
錆びついた手すりに上半身を預け
煙草の煙を、雨空に吐き出した
彼の頭の中を
一つの名前が、渦巻いていた
石松:(幻影……ファントム)
裏社会の、都市伝説
最強の、殺し屋
石松:(桐生院琉星と、ファントムは、仲間……)
石松:(……いや、違う)
石松:(あのボンボンが、あんな大物と対等なはずがねぇ)
石松:(……琉星が、ファントムを雇った、と考えるべきか)
だとすれば、何故だ?
石松:(合成麻薬で、斉藤未香をモノにしようとした)
石松:(だが、量を間違え、未香は死んだ)
石松:(その証拠を、完全に消すために、ファントムを雇った…?)
いや、違う
その考えは、あまりに単純すぎる
あの「ファントム」が、ただの証拠隠滅のためだけに動くか?
もっと、狡猾で、えげつない手口のはずだ
石松は、ハッとした
石松:(……証拠を、『作る』ためだとしたら?)
琉星の部屋から出たMDMAは、ほんの微量
だが、もし
殺された未香の部屋から
大量の合成麻薬が出てきたとしたら?
状況は、完全にひっくり返る
未香は、麻薬の売人
琉星は、ただの客
そして、彼女が勝手に薬を過剰摂取して死んだ
殺人事件は、ただの「事故」になる
石松:(……そうだ。ファントムは、証拠を『作り』に行ったんだ)
石松:(だが、そこには、姉の明日香がいた)
石松:(……不測の事態)
石松:(だから、ファントムは、明日香を連れ去った……!)
そうだ
そう考えれば、全ての辻褄が合う
だが、その結論は
石松を、絶望させるには、十分すぎた
明日香は、今
この世で、最も危険な男の手に、落ちている
目撃者として
いつ、殺されても、おかしくない
石松は
吸いかけの煙草を、床に叩きつけた
火花が、雨に濡れて、ジュッと音を立てて消える
彼は、走り出した
ただ一つの可能性に、賭けるために
留置所にいる琉星を問い詰めれば
ファントムの、何かが分かるかもしれない
石松は
雨に濡れるのも構わず
一直線に
麻布署へと、向かっていた