【関東誠友会・本部ビル】
璃夏が運転する車が
静かに、ビルの前に停まった
滝沢と璃夏が、車から降りる
少しだけ遅れて
明日香も、戸惑いながら車を降りた
彼女は、目の前のビルを見上げる
そこは、彼女が経営していた「Le Labyrinthe」とは違う
本物の、裏社会の匂いがした
滝沢:「ここの地下が、俺のアジトだ」
三人はビルの中へ入り
滝沢のアジトの、重い鉄の扉を開けた
【滝沢のアジト】
三人は、ソファに腰を下ろした
重い沈黙が、部屋を支配する
それを破ったのは、璃夏だった
璃夏:「響さん……いえ、明日香さん」
璃夏:「あの時は、本当に、ありがとうございました」
璃夏:「何も分からなかった私に、色々気遣ってくださって…」
明日香は、静かに首を横に振った
そして、滝沢に向き直る
彼が、口を開いた
滝沢:「響。何があった?」
その、短い問いに
明日香は、これまでの全てを
順番に、語り始めた
それは、一本の電話から始まった
海外にいた彼女の元に届いた
妹、未香の、突然の訃報
彼女は、すぐさま日本へと飛んだ
警察病院の、冷たい霊安室
変わり果てた妹との、再会
そこに現れた、石松という名の、一人の刑事
彼は、悔しさに顔を歪ませながら
全ての真実を、明日香に告げた
犯人は、桐生院琉星
物証もある
だが、母親である桐生院彩音の権力によって
捜査は打ち切られ、琉星は間もなく釈放される、と
璃夏は、その話を聞き
驚きと、悲しみで、唇を噛み締めた
滝沢は、ただ無言で
その先を、待っていた
明日香は続けた
絶望の中、彼女が選んだ、最後の手段
妹が遺したTikTokのアカウントを使い
全ての真実を、世間に公表したこと
そして
その告発ライブを終えた、その後
部屋の呼び鈴が鳴った
親切な隣人を装った、一人の男
その男が、滝沢だったこと
明日香は、静かに話を終えた
そして、最後に、こう付け加えた
明日香:「……もしかしたら」
明日香:「あの5年前の事と、今回の未香の件は」
明日香:「……繋がりが、あるのかもしれません」
滝沢と璃夏は
その言葉の、本当の重みを
まだ、計り知ることができなかった
だが
この日を境に
三人の運命が
再び、そして、より深く
交差していくことだけは
確かだった
璃夏:「……5年前にも」
璃夏:「その桐生院琉星という男と、何かあったんですか?」
その問いに
明日香は、一度だけ、目を伏せた
そして、静かに語り始める
まるで、古傷を確かめるかのように
--- 明日香の回想・5年前 ---
あの世界で
私は斉藤明日香という名を捨てていた
赤坂の夜に咲く一輪の花
「東条 響」
それが私の名前だった
全ての始まりは
桐生院琉星が
私の店「Le Labyrinthe(ラビラント)」に
初めて現れた夜だった
彼は毎晩のように来た
一人で現れ
カウンターの一番奥に座る
そして
最高級のドン・ペリニヨンを
水のように注文し続けた
彼は王様のように振る舞った
私が気に入ったものは何でも買い与えようとした
閉店後に
高級宝飾店の外商を呼びつけ
「この中から好きなものを選べ」と言った
新車のキーを
無言でテーブルに置いたこともあった
私は
その全てを
完璧な笑顔で、断り続けた
響:「お客様からのご厚意は、お気持ちだけで頂戴いたします」
私のその態度が
王様でいることに慣れきっていた
彼のプライドを
少しずつ、しかし確実に
傷つけていったのだろう
思い通りにならない私に
琉星の嫌がらせは
より陰湿なものへと変わっていった
彼は
私の店の優秀なホステスやボーイに
現在の給料の三倍の額を提示し
引き抜きを始めた
私の店の常連である政治家や経済人に
根も葉もない噂を流した
「あの店は反社と繋がりがある」
「衛生管理がずさんだ」と
母親である桐生院彩音の名前を使い
酒の卸業者や食材の仕入れ先に圧力をかけ
私との取引を停止させた
店は、日に日に孤立していった
私は、たった一人で
巨大な権力という名の
巨大な蛇に
じわじわと締め上げられていくようだった
それでも私が屈しないと知ると
琉星は、ついに獣の本性を剥き出しにした
チンピラや半グレを
客として店に送り込み
わざとトラブルを起こさせ
店の評判を地に落とした
そして
運命の夜が来た
閉店後
私一人が残った店を出ると
店の前で
琉星が待ち伏せしていた
琉星:「よう」
その目は
もう笑っていなかった
琉星:「俺の女になるなら、これまでのことは全て許してやる」
琉星:「お前の店も、もっと大きくしてやってもいい」
琉星:「だが、このまま断り続けるなら」
彼は、一歩、私に近づいた
琉星:「この店も、お前の人生も、ここで完全に終わらせてやる」
それは、本物の脅迫だった
私は、後ずさる
琉星:「いい加減にしろよ、このアマが!」
琉星は
私の腕を掴むと
無理やり、彼の車の後部座席に
私を押し込もうとした
私:「やめて!」
その時だった
「―――何してる?」
静かで
どこまでも冷たい声がした
声のした方を見ると
一人の男が立っていた
黒いスーツを着た
長身の男
その男は
私の腕を掴む琉星の腕を
掴んでいた
びくともしない
鋼のような力で
滝沢だった
--- アジト・現在 ---
璃夏は
息を詰めて、その話に聞き入っていた
滝沢は
ただ黙って、煙草をふかしている
その横顔からは
何も読み取れない
--- 明日香の回想・5年前 ---
琉星は悲鳴を上げて
転がるようにその場から逃げ去った
私は
突然の出来事に
ただ呆然と立ち尽くしていた
男は
私の肩からそっと腕を離すと
何事もなかったかのように
その場を去ろうとする
響:「あ、あの!ありがとうございます!」
滝沢:「……たまたま、通りがかっただけだ」
滝沢:「気にするな」
男はそう言って
夜の闇に消えようと歩き出す
その大きな背中
この男を、このまま行かせてはいけない
私の本能が、そう叫んでいた
響:「お待ちください!」
私は、気がつけば
彼の腕を、掴んでいた
響:「それでは、こちらの気が済みません」
響:「一杯だけ、ご馳走させていただけませんか?」
私は、少しだけ強引に
誰もいない、自分の店「Le Labyrinthe」に
彼を招き入れた
静まり返った、豪華な店内
カウンター席で
私は、彼のために、一杯のバーボンを注いだ
そして
ずっと、琉星の嫌がらせに困っていたことを
静かに、語り始めた
響:「もし、このご恩をお返しできる時が来たら」
響:「その時は、何でも、お申し付けください」
それは
私の、心からの誓いだった
男は
黙って、バーボンを飲み干した
そして
グラスを、カウンターに、置いた
カラン、と
氷が、静かに鳴った
私は、決心した
この男を、逃してはいけない
響:「……一つ、お願いがあります」
男は、何も言わず
ただ、その氷のような目で
私を、見ている
響:「しばらくの間、私の、ボディーガードを頼めないでしょうか」
男の眉が
ほんの少しだけ、動いた
響:「もちろん、報酬は、お支払い致します」
響:「これは、ビジネスの話です」
私は、必死だった
だが、その必死さを
悟られないように、必死だった
彼が、同情や憐れみで動く人間ではないことは
一目見れば、分かったから
長い、長い、沈黙
彼は、私を、値踏みするように
じっと、見つめている
その視線に、魂の奥底まで
見透かされているようだった
やがて
男は、短く、息を吐いた
滝沢:「……わかった」
その、たった一言が
私の、命綱になった
響:「では、明日から、お願いできますか」
男は、静かに頷いた
そして、連絡先を交換し
夜の闇へと、静かに消えていった
滝沢が、私のボディーガードになった
次の日の夜だった
店のドアが、乱暴に開け放たれた
そこに立っていたのは
顔を怒りで歪ませた、桐生院琉星
そして、彼の後ろには
昨日までの半グレとは、明らかに「格」が違う
本職のヤクザたちが、ずらりと並んでいた
他の客たちは、その異様な光景に悲鳴を上げ
店から逃げ出していく
響:「あなたたちは、バックヤードへ!」
私は、店の女の子たちに指示を出す
彼女たちが、奥の部屋へ避難したのを確認し
琉星と、ヤクザたちに向き直った
私の隣には
滝沢が、静かに立っている
琉星:「昨日のケジメ、つけさせてもらうぞ」
琉星が、勝ち誇ったように言った
その合図で
20人ほどのヤクザが、じりじりと距離を詰めてくる
その先頭にいた、幹部らしき男が
滝沢の顔を見て、足を止めた
そして
次の瞬間
男の顔から、血の気が引いた
ヤクザ:「……ま、まさか……」
ヤクザ:「あんたは……関東誠友会の……」
ヤクザ:「……『亡霊(ファントム)』……!」
その一言で
その場にいた、全てのヤクザの動きが凍り付いた
関東の裏社会で
その名を知らない者は、いない
たった一人で、旭真連合との抗争を終わらせた
伝説の男
ヤクザの幹部は、琉星に向き直り
声を、荒らげた
ヤクザ:「話が違うじゃねぇか!坊ちゃん!」
ヤクザ:「相手が、この人だって、聞いてねぇぞ!」
琉星は、訳が分からない、という顔をしている
彼は、滝沢の本当の恐ろしさを
何も、理解していなかった
ヤクザ達は、滝沢に向かって
一斉に、深々と頭を下げた
ヤクザ:「申し訳、ありませんでした!」
ヤクザ:「二度と、この店には、手は出しません!」
ヤクザ:「どうか、お見逃しを……!」
彼らは、そう言うと
蜘蛛の子を散らすように、店から逃げ去った
後には
状況が理解できず、呆然と立ち尽くす琉星が
一人だけ、残されていた
滝沢が、静かに、琉星に近づく
滝沢:「……俺は」
滝沢:「二度と、手を出すなと、言ったはずだが?」
琉星は、その圧倒的なプレッシャーに
腰を抜かし、その場にへたり込んだ
琉星:「ごめんなさい!許してください!」
琉星:「もうしません!」
滝沢は
そんな彼を見下ろし
私のほうを、振り返った
滝沢:「響、どうする?」
私は
泣きじゃくる琉星の前に立つと
静かに、そして、冷たく告げた
響:「これまでの、全ての嫌がらせと」
響:「今日の、営業妨害に対する損害額を」
響:「慰謝料含め、全額、現金でお支払いいただくわ」
響:「そして、二度と、私と、私の店に関わらないと」
響:「……ここで、約束できるのなら」
響:「今回は、目をつぶってあげる」
琉星は、何度も、何度も頷いた
こうして
私の、長い戦いは
ようやく、終わりを告げた



