【地下のバー】
滝沢は
金が詰まったアタッシュケースを片手に
VIPルームを出た
カウンターの上には
桐生院彩音が手をつけなかった
血のように赤いカクテルが
まだ、ぽつんと置かれている
彼はカウンターの上に
分厚い札束を一つ、無造作に置いた
店主へのチップ、そして口止め料だ
店主は、何も言わず、ただ深々と頭を下げた
闇の世界の、完璧な取引だった
バーを出て、地上へ
夜の冷たい空気が、肌を刺す
滝沢はスマートフォンを取り出し、電話をかけた
相手は、数ブロック先で待機させていた璃夏だった
滝沢:「車を回せ」
その声には、もう、先ほどまでの人間的な揺らぎはない
プロの殺し屋の、冷たい声だった
数秒後
一台の黒いセダンが
音もなく、彼の前に滑り込んできた
滝沢は後部座席に乗り込む
アタッシュケースが、隣の席で重い音を立てた
璃夏は、バックミラー越しに、彼の顔を見た
その、感情が抜け落ちた表情を見て
全てを察した
璃夏:「……仕事、ですか?」
滝沢:「あぁ。今から、殺る」
その、あまりに唐突な言葉に
璃夏は、息を呑んだ
だが、もう、昔のように驚きはしない
ただ、静かに、アクセルを踏み込むだけだ
自分も、もう、こちらの世界の住人なのだと
改めて、思い知らされる
【斉藤未香のマンション】
車は、目的地のマンションに着いた
ターゲットである明日香がいるはずの、妹、未香の部屋
その窓に、明かりが灯っているのを、滝沢は静かに確認する
滝沢:「エレベーター、廊下、エントランス。全てのカメラを殺せ」
璃夏:「はい」
璃夏は、助手席で
手早くノートパソコンを立ち上げた
その美しい横顔が、ディスプレイの青白い光に照らされる
カタカタと、キーボードを叩く音が、静かな車内に響く
璃夏:「……ループ映像、セットしました」
璃夏:「警備室からは、誰もいない、空っぽの廊下にしか見えません」
璃夏:「時間は、5分。それ以上は、危険です」
滝沢は、車から降りる
そして、亡霊のように、音もなく、マンションの中へと消えていった
明日香がいる、部屋の前
彼は、静かに、呼び鈴を押した
インターホンから、明日香の、少しだけ警戒したような声が聞こえる
明日香:『はい、どなたですか?』
滝沢:「隣の者ですが」
滝沢:「そちらの洗濯物が、うちのベランダに飛んで来たみたいで…」
その声は
どこにでもいる、ごく普通の、親切な隣人の声だった
明日香:『あ、すいません。今、開けます』
インターホンが切れる
ガチャリ、と
ドアの鍵が開く、小さな音がした
ドアが開く
その、数センチの隙間
その瞬間
滝沢の体は、煙のように、部屋の中へと滑り込んでいた
何が起きたのかを、明日香が理解する前に
彼女の額には
サイレンサーが付いた、冷たい銃口が
深く、突きつけられていた
彼女の、息を呑む音だけが
静かな部屋に、響き渡った



