大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

朝の空気は、少しだけ冷たかった。

カーテンを開けると、昨日までと同じ街が広がっている。

(……世界は何も変わってない)

それが、少しだけ救いだった。

朱里は支度をしながら、何度も昨夜の会話を思い出していた。

嵩の声。

川沿いの灯り。

「選ぶのは君だから」という言葉。

(選んでないけどね、まだ)

駅へ向かう途中、スマホが鳴った。

《起きてる?》
美鈴だ。

《起きてるよ》
《昨日は……聞いた》
《だと思った》
《朝、コーヒー奢るから時間ちょうだい》

断る理由はなかった。

◆社内カフェ

出社前の社内カフェは、まだ人が少ない。
美鈴はすでに席にいて、朱里の分のカップを置いていた。

「ブラックでよかった?」

「……ありがとう」

一口飲む。

少し苦くて、目が覚める。

「で」 美鈴は、前置きなしに言った。

「何も決めなかったんでしょ」

朱里は、少し驚いてから頷いた。

「……決められなかった」

「正直に言うと、逃げたい気持ちもある」

美鈴は、眉ひとつ動かさなかった。

「うん。正常」

即答だった。

「決めないって、悪いことみたいに扱われがちだけど」

「状況が動きすぎてる時に、立ち止まるのは賢いよ」

朱里は、思わず息を吐く。

「……嵩は、決断を迫られてるのに」

「私だけ、保留で」

「違う」 美鈴は、コーヒーを一口飲んでから言った。

「朱里は“保留”じゃない」

「“向き合ってる途中”」

その言葉が、胸に落ちる。

「逃げる人は、考えない」

「考え続ける人は、ちゃんと向いてる」

朱里の目が、少し熱くなる。

「……もし、結論が出なかったら?」

美鈴は、即答しなかった。

その代わり、静かに言う。

「それも、答え」

「誰かの人生を背負うために、自分の人生を軽く扱わないで」

少し間を置いて。

「朱里が決めた“決めない”は」

「ちゃんと、勇気のある選択だよ」

朱里は、カップを両手で包んだ。

「……ありがとう」

「言われなかったら、自分を責め続けてた」

美鈴は、少しだけ笑った。

「親友の仕事はね」

「本人より先に、許可を出すことだから」

二人の間に、静かな時間が流れる。

「でも」 美鈴が、少しだけ声を低くする。

「決める日が来たら」

「その時は、私が背中押す」

朱里は、はっきり頷いた。

「……うん」

「逃げない」

そのやり取りだけで、朝が少し軽くなった。

出社の時間が近づき、二人は立ち上がる。

「行こ」

「うん」

同じ職場、同じ一日。

でも朱里の足取りは、昨日より少しだけ安定していた。

“決めない”と決めた選択は、
ちゃんと支えがあれば、前に進める。

そんな朝だった。