大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

玄関の鍵を閉めた瞬間、力が抜けた。

「……つかれた」

声に出したら、やっと現実に戻ってきた気がした。

靴を脱ぎ、鞄を床に置いて、そのままソファに

座り込む。

部屋は静かだった。

テレビもつけず、スマホも触らず、ただ天井を見上げる。

(今日、何かを決めなきゃいけなかったんだっけ)

そんな問いが浮かんで、すぐに打ち消す。

──違う。

今日は、決めないって決めた日だ。

転勤の話。

嵩の気持ち。

自分の覚悟。

全部が現実味を帯びてきて、

気づいたら「答え」を求められる位置に立っていた。

でも。

(今、無理に決めた答えは)
(きっと、私を守らない)

立ち上がって、キッチンで水を飲む。

コップの中の水が揺れて、少しだけ(こひぼ)れた。

拭きながら、ふと思う。

──もし今、「一緒に行く」と言ったら。
──もし今、「待てない」と言ったら。

どちらも、後悔しそうだった。

「……ずるいよね」

誰に言うでもなく、呟く。

嵩は、きっと決断を迫られている。

それなのに、自分だけ立ち止まって。

でも。

(嵩は、“急がせない”って言ってくれた)
(だったら、甘えていい)

スマホが、テーブルの上で静かに光る。

通知はない。

それが、なぜか救いだった。

今日は、連絡を取らない。

取らなくていい。

「今日は……考えない」

そう決めて、部屋着に着替える。

鏡の前で、ふと自分の顔を見る。

疲れている。

でも、逃げた顔じゃない。

「……大丈夫」

小さく言ってみる。

布団に入って、目を閉じる。

嵩の横顔が浮かぶ。

駅前での声。

“別れ道にしたくない”という言葉。

胸が、じんわりと痛む。

(答えは、まだ出さない)
(でも、気持ちは嘘じゃない)

決めないことは、放棄じゃない。

今は、守るための選択。

眠りに落ちる直前、ひとつだけ思った。

──もし、決める日が来たら。 ──その時は、逃げない。

それだけで、今日は十分だった。

静かな夜が、朱里を包み込む。

何も決めないと決めた夜は、

不思議と、少しだけ優しかった。