レセプションから三日後。
 私は会社の受付で、信じられない光景を目にした。

 「真壁さん……?」
 そこに立っていたのは、紺のスーツ姿の真壁亮介だった。
 来客カードを首から下げ、応接室へ案内されようとしている。
 外交官が民間企業の本社に来るなんて、普通じゃない。
 私の視線に気づいた彼は、微かに笑って言った。
 「偶然ですね。お父様と面会です」

 ――偶然? 絶対に違う。
 案の定、父の執務室から戻った彼は、私のデスクに立ち寄った。
 「今夜、少し時間をいただけませんか」
 「急ですね」
 「急じゃないと、あなたは避けるでしょう」
 その言い方に、胸がちくりと痛む。否定できないのが悔しい。

 

 夜、指定されたホテルのバーラウンジに向かうと、薄暗い照明の中で真壁がグラスを傾けていた。
 「忙しい中、来てくれてありがとう」
 「それで、話って?」
 「単刀直入に言います。先日のダンスの時、僕は本気であなたを知りたいと思いました」
 あまりに直球すぎて、返す言葉が見つからない。
 「僕は仕事柄、誰かを信じることが難しい。でも、あなたと話していると、その壁が少しだけ低くなる」
 それは、初めて彼の口から聞く弱さだった。

 けれど、タイミングの悪いことに、隣のテーブルで聞き覚えのある声がした。
 「……真壁さん?」
 振り返ると、そこには外国人女性が立っていた。長身で金髪、派手なドレスを纏い、真壁を見る瞳には親しげな光が宿っている。
 「久しぶりね。日本に戻ってたなんて聞いてないわ」
 彼は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに外交官らしい笑みを浮かべた。
 「公務で帰国していたんです。……彼女は仕事の同僚です」

 女性は私に軽く会釈し、「また連絡して」と言い残して去っていった。
 ――同僚? 本当に?
 心の中で疑問が膨らむ。

 「……説明、してもらえますか」
 「必要ですか? ただの仕事仲間ですよ」
 その淡々とした言い方が、私の胸を冷やした。
 疑いを持ったまま、言葉を飲み込み、会話はぎこちないまま終わった。

 

 翌日、会社で別の衝撃が待っていた。
 経理部の後輩から「昨日、真壁さんと外国人女性が歩いてるのを見た」と耳打ちされたのだ。
 心臓が嫌な音を立てた。
 偶然かもしれない。でも、昨日の光景と繋がってしまう。

 その夜、メッセージが届いた。
 《明日の夜、会えますか》
 迷った末に《用事があります》とだけ返す。
 送信ボタンを押した瞬間、胸の奥に重い塊が残った。

 

 数日後、父から突然「亮介君との縁談は前向きに進めたい」と言われた。
 「彼は誠実だ。仕事でも信用できる」
 父の言葉に、私は反論できなかった。
 でも、あの女性の笑顔と、真壁の曖昧な態度が頭から離れない。

 結局、私は彼を避け続けた。
 電話にも出ず、メッセージも短くしか返さない。
 そんなある日、会社のビルを出たところで彼が待っていた。
 「……話がしたい」
 低い声に、逃げ場が塞がれる。

 近くのカフェに入り、二人で向かい合った。
 「避けてましたね」
 「避けたくもなります」
 「……あの女性のことですか」
 彼は深く息をつき、「あれは、前に担当した国際会議の通訳です。特別な関係ではない」と言った。
 「でも、そうは見えませんでした」
 「あなたがそう思うなら、僕の伝え方が下手なんでしょう」
 その言葉は謝罪のようで、謝罪じゃなかった。

 会話は平行線のまま終わり、私はカフェを出た。
 振り返ると、彼がまだ店内に立ち尽くしてこちらを見ていた。
 その表情は、いつもの冷静さを失っているように見えたが、確かめる前に私は人混みに紛れた。