ロンドンから戻った翌週、朝のブリーフィングルームに入った美桜は、いつもと違う空気を感じた。
数人のクルーがざわつく中、ひときわ背筋の伸びた女性が立っていた。
ショートカットに鋭い眼差し、真新しい制服がよく似合う。
紹介されたのは、新任の副操縦士・神崎玲奈。
その名を聞いた瞬間、遼の表情がわずかに揺れた。
「……久しぶりだな」
低く抑えた遼の声。玲奈は口元を上げる。
「ええ、本当に。まさか同じフライトになるなんて」
そのやり取りが、なぜか胸の奥をざわつかせた。
離陸準備の間も、玲奈と遼は業務上の確認を淡々と交わしていた。
だが、その合間に時折交わされる短い笑みや視線が、美桜の視界の端を刺す。
――業務だから。そう言い聞かせても、過去を共有する二人の空気感は、外から見ても特別だった。
食事提供を終え、前方ギャレーでボトルを整えていると、森川が近寄ってきた。
「ねえ、聞いた? 神崎さん、昔、東條機長と同じ訓練コースにいたんだって。成績優秀で、よくペアを組んでたらしいわよ」
「……そうなんですか」
努めて平静を装った声が、少しだけ震えた。
巡航中、客室後方で乗客対応をしていると、前方から遼と玲奈が並んで歩いてくるのが見えた。
肩が触れるほど近い距離。
笑みを交わす二人に、胸の奥の温度が急速に下がっていく。
近づくにつれ、遼の視線が一瞬だけ美桜に向けられた。
けれど、その表情からは何も読み取れなかった。
休憩時間、美桜は仮眠室のカーテンを閉めた。
薄暗い空間で、制服の袖を握りしめる。
――私は信じるって、決めたはずなのに。
でも、あの距離を見てしまえば、心は勝手に揺れる。
うとうとしかけた時、カーテンの外から小さな声がした。
「……美桜、起きてるか」
遼の声だ。
返事をしようとしたが、喉が固まった。
ほんの数秒の沈黙の後、足音は遠ざかっていく。
着陸後、乗客を見送り終え、機内に残ったのは数人のクルーだけ。
前方ギャレーで荷物をまとめていると、遼が近づいてきた。
「さっき、声をかけた」
「……聞こえてました」
「返事がなかった」
「業務中でしたから」
自分でもわかるほど、冷たい声になっていた。
遼の眉がわずかに寄る。
「神崎は、昔の同僚だ。それ以上でも以下でもない」
「説明……ありがとうございます」
短い言葉に、感情がこぼれそうになるのを必死で抑える。
遼は何か言いかけ、しかし他のクルーが近づいてきたことで口をつぐんだ。
ホテルへのバス、美桜は最後部の席に座った。
前方には、遼と玲奈が並んで座っている。
窓の外に視線を向けながらも、耳は二人の低い会話を拾ってしまう。
――私の居場所は、どこなんだろう。
息が詰まりそうになり、窓の外の夜景が滲んだ。
翌朝、ホテルのロビー。
集合時間より少し早く降りてきた美桜の前に、遼が立っていた。
「話がしたい。……今じゃだめか」
「集合時間まで、十分しかありません」
「十分で足りる話じゃない」
その真剣な目を見ても、胸の奥の棘は消えなかった。
集合を告げる声が響く。
遼は何かを飲み込むように視線を落とし、「あとで必ず」とだけ告げて背を向けた。
美桜は動けなかった。
その背中を追えば、答えがわかるかもしれない。
でも――今はまだ、怖かった。
数人のクルーがざわつく中、ひときわ背筋の伸びた女性が立っていた。
ショートカットに鋭い眼差し、真新しい制服がよく似合う。
紹介されたのは、新任の副操縦士・神崎玲奈。
その名を聞いた瞬間、遼の表情がわずかに揺れた。
「……久しぶりだな」
低く抑えた遼の声。玲奈は口元を上げる。
「ええ、本当に。まさか同じフライトになるなんて」
そのやり取りが、なぜか胸の奥をざわつかせた。
離陸準備の間も、玲奈と遼は業務上の確認を淡々と交わしていた。
だが、その合間に時折交わされる短い笑みや視線が、美桜の視界の端を刺す。
――業務だから。そう言い聞かせても、過去を共有する二人の空気感は、外から見ても特別だった。
食事提供を終え、前方ギャレーでボトルを整えていると、森川が近寄ってきた。
「ねえ、聞いた? 神崎さん、昔、東條機長と同じ訓練コースにいたんだって。成績優秀で、よくペアを組んでたらしいわよ」
「……そうなんですか」
努めて平静を装った声が、少しだけ震えた。
巡航中、客室後方で乗客対応をしていると、前方から遼と玲奈が並んで歩いてくるのが見えた。
肩が触れるほど近い距離。
笑みを交わす二人に、胸の奥の温度が急速に下がっていく。
近づくにつれ、遼の視線が一瞬だけ美桜に向けられた。
けれど、その表情からは何も読み取れなかった。
休憩時間、美桜は仮眠室のカーテンを閉めた。
薄暗い空間で、制服の袖を握りしめる。
――私は信じるって、決めたはずなのに。
でも、あの距離を見てしまえば、心は勝手に揺れる。
うとうとしかけた時、カーテンの外から小さな声がした。
「……美桜、起きてるか」
遼の声だ。
返事をしようとしたが、喉が固まった。
ほんの数秒の沈黙の後、足音は遠ざかっていく。
着陸後、乗客を見送り終え、機内に残ったのは数人のクルーだけ。
前方ギャレーで荷物をまとめていると、遼が近づいてきた。
「さっき、声をかけた」
「……聞こえてました」
「返事がなかった」
「業務中でしたから」
自分でもわかるほど、冷たい声になっていた。
遼の眉がわずかに寄る。
「神崎は、昔の同僚だ。それ以上でも以下でもない」
「説明……ありがとうございます」
短い言葉に、感情がこぼれそうになるのを必死で抑える。
遼は何か言いかけ、しかし他のクルーが近づいてきたことで口をつぐんだ。
ホテルへのバス、美桜は最後部の席に座った。
前方には、遼と玲奈が並んで座っている。
窓の外に視線を向けながらも、耳は二人の低い会話を拾ってしまう。
――私の居場所は、どこなんだろう。
息が詰まりそうになり、窓の外の夜景が滲んだ。
翌朝、ホテルのロビー。
集合時間より少し早く降りてきた美桜の前に、遼が立っていた。
「話がしたい。……今じゃだめか」
「集合時間まで、十分しかありません」
「十分で足りる話じゃない」
その真剣な目を見ても、胸の奥の棘は消えなかった。
集合を告げる声が響く。
遼は何かを飲み込むように視線を落とし、「あとで必ず」とだけ告げて背を向けた。
美桜は動けなかった。
その背中を追えば、答えがわかるかもしれない。
でも――今はまだ、怖かった。

