その日は、営業部の柏木さんから「どうしても直接話したい案件がある」と連絡が来た。
 電話やメールでは説明しづらい内容らしい。
 ──颯真には余計な誤解を与えたくない。
 だから、仕事の後にカフェで会う約束をしたことは、あえて言わなかった。

 平日の夜、会社から少し離れた駅前の小さなカフェ。
 柏木さんは、軽く笑って私を迎えた。

「急に呼び出してごめん。資料のことだけじゃなくて……少し、個人的に相談したくて」

「個人的に?」

「うん。婚約してる人がいる女性に、こういう話をするのは失礼かもしれないけど……俺、橘さんに好意を持ってる」

 不意打ちの告白に、息が止まった。
 どう答えていいか分からず、視線を落とす。

「……ごめんなさい。そういう気持ちには応えられません」

「分かってる。だから今日で区切りにする。ちゃんと気持ちを伝えておきたかったんだ」

 テーブル越しに深く頭を下げられ、私も小さく会釈した。
 ──これで終わり。そう思っていた。



 数日後。
 仕事を終えて帰宅すると、玄関に颯真が立っていた。
 いつも通り無表情……のはずなのに、どこか圧が違う。

「……楽しかったか」

「……え?」

「柏木と会っていたこと、黙っていたな」

 心臓が跳ねた。
 どうして知っているのか──そんな疑問よりも、声の温度に全身が固まる。

「……仕事の話と、あと……告白されただけよ」

「告白?」

 颯真の瞳が鋭く細められる。

「それを俺に隠して、黙って会ったのか」

「だって、言ったら絶対こうやって怒るでしょう?」

「当たり前だ。……お前は俺の婚約者だ」

「そればっかり……。婚約者だからって、全部報告しろっていうの?」

「そうだ。お前のことは全部知っていたい」

 吐き出すような声。
 その強さに、胸がざわつく。

「……ただの義務感でしょ?」

「違う!」

 その瞬間、初めて颯真の声が荒くなった。
 けれど私は、その真意を受け止める前に、部屋の扉を閉めてしまった。



 ベッドに横たわっても、彼の荒い声が耳から離れなかった。
 ──あれは、義務感じゃなくて……嫉妬?
 でも、信じてしまうのが怖かった。