週明け、私は父の会社で急な会食に呼び出された。
 取引先の若手役員と、今後のプロジェクトについて意見を交わすためだ。
 ──それだけのはずだった。

「橘さんは本当に仕事熱心ですね。婚約されていても、こうして現場で動かれているなんて」

「ありがとうございます。現場が好きなんです」

 笑顔で答えた瞬間、扉が開き、場の空気が一変した。

「……楽しそうだな」

 低く冷えた声。
 振り返ると、そこに颯真が立っていた。
 その視線は、私の隣に座る若手役員を鋭く射抜いている。

「一ノ瀬副社長、どうしてここに……」

「話は終わりだ。美玲、出るぞ」

 返事をする間もなく、彼の手が私の腕を掴んだ。
 席を立った私を、彼は一切の遠慮なく会場の外へ連れ出す。



「……何してるの?」

「聞くのは俺の台詞だ。あんな男と二人で笑って」

「仕事の話よ!」

「嘘だ。あいつはお前に気がある」

「根拠は?」

「見れば分かる」

 短く吐き捨てる声。
 その目は、嫉妬と怒りで濁っていた。

「……もうやめて。あなたのこういう態度、本当に息が詰まる」

「俺だって息が詰まりそうだ。お前が他の男を見て笑うたびに」

 その言葉は、熱を帯びて胸に刺さった。
 けれど、私は首を振る。

「それが本気なら……どうしてもっと早く言わなかったの? ずっと冷たくして、噂だって否定しなかった」

「……不器用なんだ、俺は」

「そんな一言で済まされるほど、簡単に信じられない」

 沈黙が落ちる。
 颯真は何かを言いかけたが、結局言葉にはしなかった。
 そして背を向けた私も、足を止めることはできなかった。



 夜。
 ベッドに横たわっても、彼の声が耳から離れない。
 ──「息が詰まりそうだ」
 それは、私の胸を苦しくさせるくせに、どうしても嫌いになれない響きだった。