【京都・九条邸・庭】
夜:(あれを使えば、もしかしたら……!)
夜:(そのためには、まず、距離を取らなければ)
夜:(この体だから、たぶんダメージはないはず……!)
夜はシズコの懐に踏み込むと
その胸の中心に
そっと、掌を当てた
寸勁
凄まじい衝撃
だがそれはシズコを傷つけるためではない
その反動を利用し
夜自身の体が、後方へと大きく滑っていく
距離は取れた
だが、シズコはすぐに体勢を立て直し
一直線に夜へと向かってくる
その顔は
怒りと憎悪で、完全に鬼女のそれだった
夜はコートのポケットから
あの廃洋館で見つけた
アイボリー色の小さな箱を取り出した
あっという間に
シズコは夜の目の前まで迫る
その巨大な手が
夜の喉を掴もうとした、その瞬間
夜は、その箱を開けた
箱の中にあったのは
小さな布に、大切に包まれた
干からびた、へその緒だった
マモルの、へその緒だ
シズコの動きが、ぴたりと止まった
シズコ:「ぽっ……ぽっ……ぽ…」
彼女の口から漏れる音が
おぞましい呪詛から
どこか物悲しい、子守唄のような響きに変わる
シズコの顔から、鬼女の形相が、ゆっくりと消えていく
彼女は
その小さな箱を
まるで、世界で最も尊い宝物のように
両手で、優しく包み込んだ
夜は、そっと、シズコにその箱を渡す
シズコ:「ぽ……ぽっぽっ……ぽ」
シズコは、その場に
両膝を、静かについた
そして
天に届くほどあった、その巨大な体が
みるみるうちに、縮んでいく
やがて
そこにいたのは
八尺様ではない
生前の、写真で見たままの
若く、美しい、シズコの姿だった
シズコ:「……マモル……」
夜:「シズコさん。私の声が、聞こえる?」
シズコは夜を見ると
こくりと、小さく頷いた
夜:「……とても、言いづらいけど、聞いて」
夜は、全てを話した
メイドの日記に書かれていた、黒木家の卑劣な罠のこと
あなたが、とうの昔に、この世を去っているということ
そして
村人たちが、あなたの悲劇を「鬼女伝説」として
語り継いできたことを
シズコは、ただ、黙って聞いていた
その美しい瞳から
ぽろぽろと
大粒の涙を流しながら
それは、血の涙ではなかった
ただ、悲しい
人間の涙だった



