花曇りの同盟──一本桜と六人の春涙物語

 ぽつ、ぽつ――と最初は小さな音だった。
 だが、それはすぐに勢いを増し、やがて雨は校舎全体を打ちつけるように降り出した。

 琥太郎の背中を、無慈悲な水が叩き始める。
 制服の背はじわじわと濡れ、髪からは水が垂れて頬を伝った。だが、彼はそれに抗うように動こうとはしなかった。

 うつむいた額を膝に押しつけたまま、ただ、じっと雨に打たれていた。
 (俺、また……逃げたんだ)
 その言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
 逃げた自分を責めるくせに、立ち上がる勇気は出せなかった。

 一方そのころ。
 校門前では、愛桜たちが決断を迫られていた。

 「……行こう。時間がない……!」
 真っ先に言葉を発したのは、大希だった。
 大きな傘を持っていたはずの彼は、それを開くことなく、一歩、雨の中へと踏み出す。

 続いて静が封筒を胸に抱えるようにしてその後を追う。
 顔をしかめながらも、彼女の足取りに迷いはなかった。
 「最悪、コピーでも仮受理されるはず。今は一秒でも早く行くべき」
 その冷静な判断に、雅と真季もすぐに頷いた。

 「うわっ、靴下もうびしょびしょ……でも、今さらだよね!」
 真季が苦笑まじりに叫ぶと、雅はスカートの裾を握りしめながら、空を睨んだ。
 「主役は遅れてやってくるって言うけど……今日は誰でもいい。間に合えばいいんだよ!」

 愛桜は、その言葉に背を押されるようにして歩き出した。
 片手で胸を押さえながら。呼吸が少し乱れていた。
 足元がふらつく。心臓がどくどくと主張してくる。
 それでも彼女は歩みを止めなかった。

 ずぶ濡れになりながら、五人は走るようにして議会庁舎へと向かった。
 坂道を登るたびに、足が重くなる。
 雨は勢いを増し、全身から雫がしたたり落ちる。
 だが、誰も文句は言わなかった。

 町役場の前に着いたときには、全員の制服が水を吸い、肌にぴったりと張り付いていた。
 靴の中では水音が鳴り、髪は額に貼りついている。
 それでも、彼らの表情には決意が宿っていた。

 「間に合うか……?」
 静が息を切らしながら腕時計を確認する。
 「……あと三分」
 それだけを言い、役場の自動ドアを勢いよくくぐった。

 カウンターの向こうにいた職員が、彼女たちの姿に驚いたように目を見張った。
 中でも最も濡れていた愛桜に、視線が集中する。

 彼女はファイルをゆっくりと取り出し、震える手で机の上に差し出した。
 「……こちら、署名……です」
 その声はかすれていたが、確かに届いていた。

 職員は一瞬ためらったが、すぐに手を伸ばしてファイルを受け取る。
 中を確認すると、紙の一部は水に滲んでいたが、署名は読めた。
 「ずいぶん濡れてますね……ですが、確かに受け取りました」
 その一言に、教室で誰よりも張り詰めていた静でさえ、安堵のため息をついた。

 愛桜は、深く頭を下げる。
 前髪から水がぽたりと机に落ちる。
 その一滴に、彼女のこれまでの苦労がすべて詰まっているかのようだった。

 庁舎を出たとき、空の雲はわずかに裂け、灰色の向こうに淡い夕陽が滲んでいた。
 雨はまだ止まないが、どこか、ひと仕事終えたような風が頬を撫でていった。