花曇りの同盟──一本桜と六人の春涙物語

 四月八日、桜祭り当日。
  夕暮れの桜町は、昼とはまるで別の顔をしていた。
  通りに沿って設置された灯籠が、まるで地上に浮かぶ星のように灯り、一本桜の周囲には千を超える提灯がやわらかく揺れていた。
  広場には町の人々が集まり、笑い声や屋台の呼び声が響く。
  「こちら、本部テント!会場西側、雅くん準備OK?」
  「ナレーション、いつでもいける!」
  舞台裏、雅はヘッドセットをつけ、胸を張って答えた。今日は目立つ衣装は着ていない。黒いスタッフジャンパー。
  それでも、「主役でいたい」彼が自ら選んだ“影ナレ”役だった。
  「会場北、警備異常なし」
  大希が短く無線に答えた。
  「進行、タイムテーブル通りに動いてます。予定どおり、19:45にステージへ」
  静が手帳と照らし合わせながら、淡々と全体を指揮していた。
  真季は案内板の横で、観客に向けて優しく呼びかけている。
  「どうぞこちらへ!一本桜、正面から綺麗に見えますよ!」
  そしてその頃、琥太郎は愛桜の車椅子を押していた。
  舗装された通路をゆっくりと進む二人の前に、夜桜の光が広がる。
  「あ……」
  愛桜の声が、震えた。
  眼前には、ライトアップされた一本桜。
  幹は支柱で支えられ、枝はやや短く剪定されていたが、それでも凛と立っていた。
  咲き誇る花びらの一枚一枚が、夜の風に揺れて、提灯の灯りと交わりながら、まるで夢の中の光景のようにきらめいていた。
  「……これが、守った桜だよ」
  琥太郎が囁いた。
  愛桜は口元を手で覆い、しばらく言葉が出なかった。
  「……本当に、咲いてる」
  涙声が混じっていた。
  「咲いたんだよ、俺たちで」
  その言葉に、愛桜が小さくうなずいた。
  そのとき、ステージ上にライトが灯る。
  雅の声が、静かに場内に響いた。
  「皆さま、お待たせしました。これより、桜町一本桜保存決定のご報告と、未来への誓いを込めた発表を行います」
  琥太郎はステージへと向かって車椅子を押す。
  ――この光景を、届けるために。
 ステージ中央に、琥太郎と愛桜が立った。
  客席からはざわめきが広がる。
  「……こんばんは。桜町中三年の、朝倉琥太郎です」
  琥太郎が一礼すると、静かな拍手が広がった。
  「この一本桜は、僕たちが一年かけて守ってきた、大切な木です」
  言葉は、震えていなかった。
  たくさんの逃げた日々、悔しさ、仲間の支え、それらすべてを抱えて今、彼は前に立っている。
  「伐採の危機から、町の皆さんと一緒に、この桜を未来に残せることになりました」
  隣の愛桜が、小さくマイクを受け取った。
  「……私、この桜に、毎年のように救われてきました。
  病気で学校に通えない時期も、ここに来て、桜を見て、また頑張ろうって思えたんです」
  彼女の言葉に、場内が静まり返った。
  「だから、どうしても……この木が、なくなってほしくなかった」
  彼女は涙をぬぐい、笑った。
  「守ってくれて、ありがとうございました」
  その言葉とともに、琥太郎が高らかに言う。
  「――一本桜、保存決定です!」
  拍手が、どっと湧いた。
  割れるような歓声。
  町長がステージ横で頷き、議会関係者も拍手を送っていた。
  その瞬間だった。
  「花火、打ち上げ準備よし!」
  静の合図で、大希が合図を出す。
  そして――
  ドン、という音とともに、夜空に一輪の花火が咲いた。
  それは、かつて中止された夏の花火の、代わりの花。
  復活の一発目だった。
  愛桜が空を見上げる。
  「わあ……」
  無数の光が夜空を彩る。
  桜の花と、提灯の灯りと、夜空の花火が交差する幻想的な光景。
  琥太郎は、隣で見上げる彼女の姿を、目に焼き付けていた。
  この夜のすべてを、忘れないように。
  ――これが、「約束の夜桜」。
  彼らの一年が、一つの形になって、今ここに咲いていた。