四月に入ってすぐ、桜祭りの準備が本格的に始まった。
役場との協定締結後、町の空気は一変していた。
かつて「仕方がない」と言われていた伐採に、町の人々が次々と協力を申し出始めたのだ。
「ちょっと、提灯の在庫これだけじゃ足りないよ!」
真季の声が桜広場に響いた。
イベント装飾担当を任された彼女は、張り切って提灯飾りの図案まで作ったものの、どう考えても数が足りなかった。
「うーん、千本くらい必要かも」
「千本!?」
琥太郎の声が裏返る。
「だって、一本桜の周りぐるっと囲んで、木に吊るして、夜のライトアップにも耐えられる数って考えると、それぐらいは……」
「どうすんだよ……町内にはそんなに在庫ないし……」
そのとき、愛桜のスマホからメッセージが届いた。
「町民一人ひとりに呼びかけてみては?」
その言葉に、琥太郎ははっとした。
(そうだ、俺……あの時、逃げた。けど、今なら……)
「よし。俺、配るよ。お願いの手紙と一緒に」
「本気か?」
「うん。全部、手で配る」
――逃げずに、顔を見て、お願いする。
それは、かつての自分にはできなかったことだった。
翌日から、琥太郎は町を歩いた。
個人商店、郵便局、パン屋、病院、農協――
一軒ずつ、一人ずつ、言葉を尽くして頭を下げる。
「桜を守れました。今度は祭りを、皆さんと一緒に作りたいんです。提灯を一つだけでも、貸してもらえませんか」
最初は怪訝な顔をされた。
けれど、一人が頷くと、次第に応じる人が増えていった。
「こんなに一生懸命なら、協力せんとねぇ」
「うちに使ってないのがあるよ。倉庫に置いてるけど、いいかい?」
「好きに持ってきな。お前ら、よくやったなぁ」
そのたびに、琥太郎は感謝の言葉を返した。
自分がしてきたこと、守れなかった日々、それでも進んだこと――
それをすべて背負って、一つ一つ頭を下げる。
そうして数日後。
町の倉庫に集められた提灯の数は――
「千本、超えてる……」
琥太郎が、呆然と呟いた。
真季がカチンコチンに冷えた手をこすりながら笑う。
「ほんとに、全部、手で集めたんだね」
「……うん。でも、俺だけじゃ無理だった。皆がいてくれたから」
「じゃあ、飾りつけ、始めようか」
夕暮れの光の中、六人は提灯を一本桜の周囲に吊るしはじめた。
枝に、支柱に、道沿いに――
気がつけば、木の周囲はやさしい灯りで彩られていた。
祭りの前夜。
桜の枝には、色とりどりの提灯が揺れていた。
それはまるで、桜が夜の海に浮かべた千の祈りのようだった。
足元の草には、柔らかな光が滲み、桜の幹はその灯りを背負って静かに立っていた。
「……やっと、ここまで来たんだな」
琥太郎がぽつりと呟いた。
「うん、ほんとに」
隣で静かに頷いた愛桜は、車椅子に座りながら空を見上げていた。
医師から、外出の許可がようやく下りたのは、昨日のことだった。
「夜風、ちょっと冷たいけど……気持ちいいね」
「うん」
ふたりの間に、風が通り抜けた。
「提灯、きれい」
「町中が協力してくれたんだよ。最初は無理だと思った。でも、集まった。――信じてくれたから」
愛桜は微笑んだまま、少しだけ視線を落とした。
「琥太郎君が、変わったからだよ」
「変わったっていうより……ちゃんと見たんだ。逃げずに、皆の顔。自分の弱さも」
「それって、強いことだよ」
ふいに、風が吹いた。
提灯が一斉に揺れ、柔らかな音を立てた。
「この音、好き」
愛桜が呟く。
「何の音?」
「……たぶん、安心の音。誰かがそばにいてくれるっていう音」
その言葉に、琥太郎は答えられなかった。
ただ、ゆっくりと手を伸ばし、愛桜の手を握った。
細くて、冷たくて、それでも確かにそこにある命のぬくもり。
「明日、楽しみだね」
「うん。絶対、忘れられない夜になるよ」
提灯の灯りは、風に揺れて、夜空にやわらかく滲んでいた。
まるで、春の夢のように。
役場との協定締結後、町の空気は一変していた。
かつて「仕方がない」と言われていた伐採に、町の人々が次々と協力を申し出始めたのだ。
「ちょっと、提灯の在庫これだけじゃ足りないよ!」
真季の声が桜広場に響いた。
イベント装飾担当を任された彼女は、張り切って提灯飾りの図案まで作ったものの、どう考えても数が足りなかった。
「うーん、千本くらい必要かも」
「千本!?」
琥太郎の声が裏返る。
「だって、一本桜の周りぐるっと囲んで、木に吊るして、夜のライトアップにも耐えられる数って考えると、それぐらいは……」
「どうすんだよ……町内にはそんなに在庫ないし……」
そのとき、愛桜のスマホからメッセージが届いた。
「町民一人ひとりに呼びかけてみては?」
その言葉に、琥太郎ははっとした。
(そうだ、俺……あの時、逃げた。けど、今なら……)
「よし。俺、配るよ。お願いの手紙と一緒に」
「本気か?」
「うん。全部、手で配る」
――逃げずに、顔を見て、お願いする。
それは、かつての自分にはできなかったことだった。
翌日から、琥太郎は町を歩いた。
個人商店、郵便局、パン屋、病院、農協――
一軒ずつ、一人ずつ、言葉を尽くして頭を下げる。
「桜を守れました。今度は祭りを、皆さんと一緒に作りたいんです。提灯を一つだけでも、貸してもらえませんか」
最初は怪訝な顔をされた。
けれど、一人が頷くと、次第に応じる人が増えていった。
「こんなに一生懸命なら、協力せんとねぇ」
「うちに使ってないのがあるよ。倉庫に置いてるけど、いいかい?」
「好きに持ってきな。お前ら、よくやったなぁ」
そのたびに、琥太郎は感謝の言葉を返した。
自分がしてきたこと、守れなかった日々、それでも進んだこと――
それをすべて背負って、一つ一つ頭を下げる。
そうして数日後。
町の倉庫に集められた提灯の数は――
「千本、超えてる……」
琥太郎が、呆然と呟いた。
真季がカチンコチンに冷えた手をこすりながら笑う。
「ほんとに、全部、手で集めたんだね」
「……うん。でも、俺だけじゃ無理だった。皆がいてくれたから」
「じゃあ、飾りつけ、始めようか」
夕暮れの光の中、六人は提灯を一本桜の周囲に吊るしはじめた。
枝に、支柱に、道沿いに――
気がつけば、木の周囲はやさしい灯りで彩られていた。
祭りの前夜。
桜の枝には、色とりどりの提灯が揺れていた。
それはまるで、桜が夜の海に浮かべた千の祈りのようだった。
足元の草には、柔らかな光が滲み、桜の幹はその灯りを背負って静かに立っていた。
「……やっと、ここまで来たんだな」
琥太郎がぽつりと呟いた。
「うん、ほんとに」
隣で静かに頷いた愛桜は、車椅子に座りながら空を見上げていた。
医師から、外出の許可がようやく下りたのは、昨日のことだった。
「夜風、ちょっと冷たいけど……気持ちいいね」
「うん」
ふたりの間に、風が通り抜けた。
「提灯、きれい」
「町中が協力してくれたんだよ。最初は無理だと思った。でも、集まった。――信じてくれたから」
愛桜は微笑んだまま、少しだけ視線を落とした。
「琥太郎君が、変わったからだよ」
「変わったっていうより……ちゃんと見たんだ。逃げずに、皆の顔。自分の弱さも」
「それって、強いことだよ」
ふいに、風が吹いた。
提灯が一斉に揺れ、柔らかな音を立てた。
「この音、好き」
愛桜が呟く。
「何の音?」
「……たぶん、安心の音。誰かがそばにいてくれるっていう音」
その言葉に、琥太郎は答えられなかった。
ただ、ゆっくりと手を伸ばし、愛桜の手を握った。
細くて、冷たくて、それでも確かにそこにある命のぬくもり。
「明日、楽しみだね」
「うん。絶対、忘れられない夜になるよ」
提灯の灯りは、風に揺れて、夜空にやわらかく滲んでいた。
まるで、春の夢のように。


