花曇りの同盟──一本桜と六人の春涙物語

 翌朝、空はようやく青を取り戻していた。
  暴風は夜明け前に収まり、町には静けさが戻っていた。だが、あちこちに落ち葉や倒れた看板の残骸が散らばっており、昨夜の嵐の激しさを物語っていた。
  一本桜の元へ、琥太郎たちは再び集まっていた。
  「……亀裂、広がってる」
  静が幹の裂け目を指さす。
  「でも……」
  愛桜がそっと近づき、両手でその幹を包み込んだ。
  「まだ、あたたかい……。生きてる。ちゃんと、ここにいる」
  風で吹き飛ばされた土を踏みしめながら、六人は改めて木を見上げた。
  枝はところどころ折れ、葉もすっかり吹き飛ばされている。
  だが、その根元はまだしっかりと地中に食い込み、幹はわずかに軋みながらも立っていた。
  「桜って、強いんだな……」
  琥太郎が呟く。
  「いや。違うのよ」
  静が、小さくかぶりを振った。
  「この木は、誰かに支えられて強くいられてるの。昨日の夜、私たちが来なかったら――きっともう、折れてた」
  全員の目が静かに幹へと向けられる。
  「じゃあさ、俺らも一緒じゃない?」
  雅が言った。
  「俺なんか、自分のためにしか動けなかった。でも、誰かに支えられて、こうして立ってる」
  「僕も、だよ」
  真季がうなずく。
  「冗談も、真面目に受け止めてくれる人がいたから、自分で居られた」
  大希は何も言わなかったが、そっと桜の根元に置かれた支柱を一度、握りしめた。
  愛桜の目に、光が宿る。
  「ありがとう、みんな。……あの時、守ってくれて」
  「まだ終わってないよ」
  琥太郎が一歩、前へ出る。
  「この桜は生きてる。だったら、次は町を動かそう。ちゃんと議会で、声をあげよう」
  その言葉に、仲間たちは一斉にうなずいた。
  この桜は、奇跡ではない。
  守りたいと願った誰かの手と声が、今日まで繋いできた枝のようなもの。
  一本一本が支え合い、絡まりながら、やがて春の花を咲かせる。
  そして、それはまだ終わっていない。
  彼らの戦いは、これからが本番だった。
 三月上旬、町議会臨時会当日。
  会場のロビーには、スーツ姿の大人たちが行き交い、議場に向かう階段の前には張り詰めた空気が漂っていた。
  その中で、制服姿の琥太郎はひとり、立ち尽くしていた。
  手には、再製本された署名と資料一式。
  指先がじっとりと汗ばんでいる。
  (あのとき逃げた。何度も逃げた。――でも)
  拳をぎゅっと握る。
  (今は違う。逃げたくない。愛桜との約束を、もう一度口にするために来たんだ)
  「琥太郎」
  振り向くと、大希がいた。
  「行けよ。背中、預けるって言ったろ」
  その言葉に、背筋が少し伸びた。
  階段を上がり、傍聴席に入る。前方の議員たちが一斉に視線を向けてきた。
  「それでは次に、桜町中学校三年、佐原琥太郎君による意見陳述をお願いします」
  呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。
  でも、立ち上がった。
  演壇の前。
  深呼吸。
  用意した原稿を開く。
  「僕は、臆病者でした」
  ざわめきが起きる。
  「逃げてばかりで、誰かの後ろに隠れて、都合の悪いことは他人のせいにしていました」
  声が震える。でも、止まらなかった。
  「でも、そんな僕でも、守りたいものができました。一本の桜です。みんなで守ってきた、町の桜です」
  資料を掲げる。
  「この桜は、もうボロボロです。枝も折れて、幹もひび割れて。それでも、まだ立ってます。誰かが『守りたい』って思ったからです」
  琥太郎は、少しだけ笑った。
  「僕も、そのひとりです」
  傍聴席で、愛桜がビデオ通話越しに見守っていた。
  画面越しでも、その笑顔が見える気がした。
  「どうか、桜を切らないでください。切ってしまったら、僕たちが繋いできた“思い出”も“未来”も、ここで途切れてしまう」
  静寂。
  議長が口を開く。
  「……意見、確かに受け取りました。町としても、バイパス案を含め、保存の可能性を検討します」
  その瞬間、傍聴席から拍手が起こった。
  涙がにじむ。
  琥太郎は袖で目元をぬぐった。
  ――逃げなかった。
  この手で、言葉で、未来を変える扉を開いた。
  振り返ると、そこには仲間たちの姿があった。
  誰もが笑って、そして涙をこらえていた。
  一本の桜が、たしかにそこに咲きはじめていた。