年が明けた。
冬休みの喧騒が過ぎ去り、再び日常が戻ってきたその朝、桜町はすっかり銀世界へと姿を変えていた。
屋根も道も、街の看板も、木の枝も――白。
見渡す限り、何もかもが柔らかい雪に包まれていて、まるで世界そのものが静けさを選んだようだった。
人の足音も、車の音も、遠くへ吸い込まれてしまうような、そんな朝だった。
始業式の朝。
桜町中学校の校庭も、真っ白なベールで覆われていた。
まだ誰の足跡もない、まっさらな雪が地面に均一に積もっていて、まるで絵のようだった。
そこには、何か神聖なものすら感じる静けさがあった。
昇降口に立つ琥太郎は、その光景を無言で見つめていた。
制服のポケットに突っ込んだ手は冷たくて、指先の感覚がだんだんと失われていく。
それでも、彼はその景色から目を離せなかった。
「……すげぇな」
ふと口から漏れたその言葉も、白い息に包まれて消えていった。
そんなときだった。
校庭の端、グラウンドの隅――普段は誰も近づかないあたりに、ぽつりと黒い影があった。
人影。
琥太郎は瞬きをして、もう一度よく見る。
――大希。
黒いコートに身を包み、スコップを手に持って、黙々と雪を削っていた。
「……大希……?」
琥太郎は声に出してから、すぐに違和感を覚えた。
こんな朝早く、こんな雪の中、何をしているのか――想像もつかなかった。
足が自然と動く。
真っ白な雪を踏みしめるたび、ギュッ、ギュッと音が鳴る。
その音だけが、静かな朝に響いていた。
大希のそばまで近づくと、琥太郎はようやく気づいた。
地面に描かれている、大きな曲線。
スコップで雪を削って現れた土の色が、空に向かって枝を伸ばすような形をしていた。
「……桜?」
琥太郎は目を見開いた。
雪原に描かれた、一本の巨大な桜の樹形。
グラウンドいっぱいに広がるそれは、まるで白いキャンバスに刻まれた巨大な願いのようだった。
「なにしてんの?」
思わず声をかける。
大希は振り返らなかった。
ただ、短く一言だけ返す。
「描いてる」
スコップを動かす手に、迷いはなかった。
雪を削り、押しのけ、形を整えるその様は、まるで長年の彫刻家のような集中と正確さだった。
風が吹いた。
雪が舞った。
舞い上がった雪煙が、空へと昇っていく。その光景が、まるで枝の先に咲く花びらのように見えた。
「ひとりで……?」
問いかけに、大希は一度だけ動きを止めた。
そして、雪を押しのける手を止めずに言った。
「背中、預ける相手が来るって信じてたから」
その言葉は、雪よりも冷たくて、だけど雪よりも温かかった。
琥太郎の胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
(……ずっと、見ててくれたんだ)
自分が何度も逃げたあの日々。
臆病で、卑怯で、なにもできなかった自分を、大希は責めなかった。
いつも一歩先を歩きながら、ただ静かに、背中を預ける準備をしてくれていた。
琥太郎は唇を噛んだ。
冷たい風が頬を刺した。
その痛みが、自分の情けなさを突きつけてくるようで、やりきれなかった。
「……ごめん」
絞り出すように、そう呟いた。
けれど、大希はそれを遮るように、淡々と言った。
「謝るな。手伝え」
差し出されたスコップ。
琥太郎は、一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから――笑った。
小さな、小さな笑みだった。
でも、それは確かに、前を向くための最初の一歩だった。
冬休みの喧騒が過ぎ去り、再び日常が戻ってきたその朝、桜町はすっかり銀世界へと姿を変えていた。
屋根も道も、街の看板も、木の枝も――白。
見渡す限り、何もかもが柔らかい雪に包まれていて、まるで世界そのものが静けさを選んだようだった。
人の足音も、車の音も、遠くへ吸い込まれてしまうような、そんな朝だった。
始業式の朝。
桜町中学校の校庭も、真っ白なベールで覆われていた。
まだ誰の足跡もない、まっさらな雪が地面に均一に積もっていて、まるで絵のようだった。
そこには、何か神聖なものすら感じる静けさがあった。
昇降口に立つ琥太郎は、その光景を無言で見つめていた。
制服のポケットに突っ込んだ手は冷たくて、指先の感覚がだんだんと失われていく。
それでも、彼はその景色から目を離せなかった。
「……すげぇな」
ふと口から漏れたその言葉も、白い息に包まれて消えていった。
そんなときだった。
校庭の端、グラウンドの隅――普段は誰も近づかないあたりに、ぽつりと黒い影があった。
人影。
琥太郎は瞬きをして、もう一度よく見る。
――大希。
黒いコートに身を包み、スコップを手に持って、黙々と雪を削っていた。
「……大希……?」
琥太郎は声に出してから、すぐに違和感を覚えた。
こんな朝早く、こんな雪の中、何をしているのか――想像もつかなかった。
足が自然と動く。
真っ白な雪を踏みしめるたび、ギュッ、ギュッと音が鳴る。
その音だけが、静かな朝に響いていた。
大希のそばまで近づくと、琥太郎はようやく気づいた。
地面に描かれている、大きな曲線。
スコップで雪を削って現れた土の色が、空に向かって枝を伸ばすような形をしていた。
「……桜?」
琥太郎は目を見開いた。
雪原に描かれた、一本の巨大な桜の樹形。
グラウンドいっぱいに広がるそれは、まるで白いキャンバスに刻まれた巨大な願いのようだった。
「なにしてんの?」
思わず声をかける。
大希は振り返らなかった。
ただ、短く一言だけ返す。
「描いてる」
スコップを動かす手に、迷いはなかった。
雪を削り、押しのけ、形を整えるその様は、まるで長年の彫刻家のような集中と正確さだった。
風が吹いた。
雪が舞った。
舞い上がった雪煙が、空へと昇っていく。その光景が、まるで枝の先に咲く花びらのように見えた。
「ひとりで……?」
問いかけに、大希は一度だけ動きを止めた。
そして、雪を押しのける手を止めずに言った。
「背中、預ける相手が来るって信じてたから」
その言葉は、雪よりも冷たくて、だけど雪よりも温かかった。
琥太郎の胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
(……ずっと、見ててくれたんだ)
自分が何度も逃げたあの日々。
臆病で、卑怯で、なにもできなかった自分を、大希は責めなかった。
いつも一歩先を歩きながら、ただ静かに、背中を預ける準備をしてくれていた。
琥太郎は唇を噛んだ。
冷たい風が頬を刺した。
その痛みが、自分の情けなさを突きつけてくるようで、やりきれなかった。
「……ごめん」
絞り出すように、そう呟いた。
けれど、大希はそれを遮るように、淡々と言った。
「謝るな。手伝え」
差し出されたスコップ。
琥太郎は、一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから――笑った。
小さな、小さな笑みだった。
でも、それは確かに、前を向くための最初の一歩だった。



