花曇りの同盟──一本桜と六人の春涙物語

 病院の玄関を出ると、夜の風が頬を撫でた。
 冷たさのなかに、どこか優しさが混じっているような、そんな冬の空気だった。
 琥太郎はポケットに手を突っ込んだまま、坂道をゆっくりと下る。

 夜の町は、しんとしていた。
 イルミネーションは変わらず瞬いているのに、人の声は聞こえない。
 その静寂のなかで、琥太郎の心だけが騒がしく鳴っていた。

 彼はスマートフォンを取り出し、画面を開いた。
 グループチャットには、まだ誰のメッセージも届いていない。
 ほんの数日前まで、意見が飛び交っていたその場所が、今は静かに沈黙している。

 琥太郎は、画面に指を乗せ、少しだけ躊躇った。
 それでも、指は自然と動いていた。

 〈俺、やる。春までに、あの桜を咲かせる〉

 送信。
 小さな音とともに、その言葉が空へと放たれた。
 すぐに“既読”が並ぶ。

 〈任せた!〉
 〈まってたよ!〉
 〈秒単位で指示出すから覚悟しといて〉
 〈僕の顔、満開に咲かせてくれていいよ〉

 次々と返ってくる仲間たちのメッセージに、琥太郎はふっと笑った。
 まるで、冷たい夜に焚き火が灯ったような、そんなぬくもりが心に広がっていく。

 愛桜の「ありがとう」も、みんなの「任せた」も、同じ温度だった。
 責めない、否定しない。
 ただ、自分を信じてくれている――それが、何よりも嬉しかった。

 彼は足を止めて、空を見上げる。
 星が、遠く高い空に散らばっていた。
 そのどれもが小さく、でも確かに光っている。

 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、琥太郎はそっと手を胸に当てた。

 思い出す。
 愛桜の手のぬくもり。
 あの日、病室で聞いた彼女の心音。
 弱々しくも力強く、確かにそこにあった命の響き。

 ――忘れない。絶対に。

 「……咲かせるって決めたんだ。絶対に」
 誰に言うでもなく、空に向かって呟いたその言葉。
 それは、自分自身への宣言だった。

 風が、さらりと髪をなでていく。
 遠くで、木々の枝が揺れた音が聞こえた。
 琥太郎は、今夜その風が、桜の木まで届いた気がした。