花曇りの同盟──一本桜と六人の春涙物語

 年末が近づいたある晩。
 吐く息が白く濁るほどに、空気は冷たく澄んでいた。
 病院の屋上は静まり返っていて、風が吹くたび、フェンスがかすかに軋む音だけが響く。
 その金属の音すら、まるで誰かの心の内を引き裂くようで、やけに冷たく感じられた。

 琥太郎はそのフェンスに背を預け、黙って空を見上げていた。
 街の向こうに広がるイルミネーションが、かすかに揺れながらまたたいている。
 ツリーや星型の電飾、建物の縁を彩る光たち――その一つひとつが、誰かの願いや笑顔を映しているように見えた。

 けれど、彼の心は晴れなかった。
 どれだけ煌びやかな光に囲まれても、胸の奥には黒く重たいものが張りついたままだった。

 (……心臓って、こんなに脆いものなんだな)

 何の前触れもなく倒れた愛桜の姿が、何度も脳裏に焼き付いて離れなかった。
 彼女が苦しげに胸を押さえて倒れたあの日、琥太郎はただ震えるしかできなかった。
 動けなかった。声も出せなかった。

 その無力さが、今でも彼の胸を焼いていた。
 あれから三日が経った。
 ようやく容体が落ち着き、今日になってようやく――再会が許された。

 「入ってあげてください」
 優しい声の看護師が、病室の前で微笑んだ。
 琥太郎は、心臓の音を必死で押し殺しながら、ドアノブに手をかける。

 ギィ……と、静かな音を立ててドアが開いた。

 冬の日差しがカーテン越しに差し込んでいた。
 白いカーテンは薄く透けていて、柔らかい光が病室全体に漂っていた。
 その光はどこか儚げで、それでもあたたかくて――まるで、愛桜そのもののようだった。

 ベッドの上、彼女は眠っているかと思った。
 けれど視線を向けた先には、ノートを広げて何かを書いている愛桜の姿があった。

 「……おはよう」
 琥太郎が声をかけると、愛桜は顔を上げた。
 驚きと、少し照れたような表情。

 「琥太郎君……!」
 彼女の声には、少しかすれがあったものの、笑顔は変わらなかった。
 その笑顔を見ただけで、琥太郎の視界が一瞬、滲んだ。

 「もう、無茶しちゃだめだよ」
 「うん、反省中」
 自然に、ふたりは笑い合った。
 その笑顔が、あまりにもいつも通りで、逆に胸が締めつけられそうになる。

 それでも、笑っていたかった。
 もう二度と、この笑顔を失いたくなかった。

 しばらく他愛のない話をしていたあと、愛桜は少しだけ真剣な顔になった。
 手元の封筒にそっと指を置き、目線を逸らすように視線を落とす。

 「……ね、これ。見てもらってもいい?」
 彼女が差し出した封筒は、病院のロゴが入ったものだった。

 中には診断書と、主治医の説明資料が入っていた。
 琥太郎がページを開くと、そこには見慣れない専門用語がびっしりと並んでいた。

 「……手術の話、なんだね」
 琥太郎の言葉に、愛桜は静かに頷いた。

 「主治医の先生が言うには、今の状態なら、手術で治せる可能性があるんだって。ただ……五分五分なんだって」

 言葉を選びながら、それでもまっすぐに伝えようとするその声。
 震えているのは、彼女の指先だけじゃない。心も、迷いながら、それでも進もうとしているのが伝わってきた。

 「成功率が半分って、低いように聞こえるけど……」
 彼女は視線を外しながら、言葉を紡いだ。

 「何もしなければ、来年の春を越せないかもしれないって……言われたの」

 琥太郎の喉が、ごくりと鳴った。
 病室の空気が、一瞬で重くなった。
 先ほどまであたたかかった光が、遠くへと引いていくような錯覚に襲われる。