花曇りの同盟──一本桜と六人の春涙物語

 十二月。空気はぐっと冷え込み、校舎の窓には白い息が映り込む季節になった。
  「動画? プレゼンに動画なんか必要なのか?」
  琥太郎の問いに、静が首を縦に振る。
  「必要よ。審議会に提出する資料の中で、印象に残るのはビジュアル。静止画だけでは弱い。現地の様子と私たちの想いを、短い尺に凝縮する必要があるの」
  「やば、かっこいい……」
  真季が感嘆の声を上げるが、静は相変わらず淡々と話を進める。
  「一分半。桜の全景、周囲の環境、春の様子、そして六人それぞれのメッセージ。秒単位で構成はもう作った」
  静が取り出したのは、緻密な絵コンテと秒単位で区切られた撮影スケジュールだった。
  「まじでこれ、映画監督レベルじゃない?」
  雅が言いながらも、すでに持ち場の照明器具の準備を始めている。
  愛桜はカメラチェック、大希は無言で三脚を組み立てる。
  琥太郎の役割は、映像編集。
  はじめて扱う編集ソフトに、最初は手が震えた。
  (こんなの、できるのか……?)
  だが、誰も彼を責めない。誰も「無理だろ」と言わない。
  それが、逆にプレッシャーでもあった。
  初日は素材の整理と仮編集。
  二日目はナレーション録りとBGM挿入。
  そして――三日目の夜。事件は起きた。
  「静、ちょっと来てくれる……?」
  琥太郎の声に、静がモニターを覗き込んだ。
  「……これ、秒数ずれてるわ。ナレーションと場面切り替えのタイミングが、台本と合ってない」
  「……ごめん、修正しようとしたら、タイムライン全部ずれちゃって……」
  「提出まであと一日しかないのよ?」
  静の声が、ほんのわずかだけ鋭くなった。
  その瞬間だった。
  「――ッ!」
  愛桜が、胸を押さえて崩れ落ちた。
  「愛桜!」
  「救急車呼んで!」
  誰かの声に、教室の空気が凍りつく。
  琥太郎は真っ青になりながら、倒れた愛桜の肩を抱いた。
  顔が、白い。唇まで血の気が引いていた。
  「……わ、私、大丈夫……だから」
  震える声で笑おうとする彼女の手が、琥太郎の袖をぎゅっと握る。
  「もう喋るな!」
  大希がスマホを取り出し、手早く救急要請を始める。
  その間、誰もが愛桜のそばから動けなかった。
  琥太郎は、愛桜の手を握ったまま、ただ震えていた。
 (どうして……どうして、こんなことに……)
  もう二度と逃げないと決めたのに。
  それでも、今の自分は、ただ見ていることしかできなかった――。
 病院の廊下は白く静かで、足音すら響かないほどだった。
  琥太郎は、自販機の前にしゃがみ込み、何度も拳を握ったり開いたりしていた。
  (俺のせいだ。編集に手間取ったから、やり直しさせたから……)
  息が浅く、心臓が背中から逃げ出しそうだった。
  ガラッとドアが開く音。
  大希が無言で隣に腰を下ろした。缶コーヒーを差し出される。
  「……ありがとう」
  琥太郎はそれを受け取り、でも開けずに両手で包んだ。
  「俺、なにしてるんだろうな。みんなが頑張ってて、愛桜は自分の身体のこともあって、それでも……俺、タイムコード合わせることすら、ちゃんとできなかった」
  しばらく沈黙があった。
  やがて大希が、ぽつりと言った。
  「それでも、お前、逃げなかった」
  琥太郎は目を見開いた。
  「前だったら、とっくに逃げてただろ。言い訳して、誰かのせいにして。今回は、残った」
  その言葉に、胸がじんと熱くなった。
  すると病室の扉が開き、看護師が顔を出す。
  「ご家族の方と、お友達、一名だけならどうぞ」
  琥太郎と大希が目を見合わせる。
  「……行ってこい」
  静かに促され、琥太郎は立ち上がった。
  病室の中は、真っ白なベッドと窓から差す夕陽で満ちていた。
  愛桜は点滴を受けながらも、枕元のノートを開いていた。
  「……ごめん、無理させちゃった」
  琥太郎の声に、愛桜は微笑む。
  「違うよ。無理したの、私。だって……あの桜が、来年も見たいって思ったから」
  しばらくの沈黙。
  琥太郎はそっとベッドのそばに座り、愛桜の手元のノートを覗いた。
  そこには、絵コンテと、再編集された動画のタイムライン案が書かれていた。
  「静ちゃんが持ってきてくれてね。少しでも役に立てたらって思って」
  「無理しないでって、さっき言ったばっかじゃん……」
  そう言いながらも、琥太郎の声は優しかった。
  「……ありがとう」
  その言葉に、愛桜の目がふっと潤む。
  「こちらこそ。ありがとう」
  窓の外には、夕焼けに染まる一本桜のシルエットが、かすかに見えていた。
  それはまだ咲かない枝だったけれど――琥太郎の中では、何かがそっと芽吹いていた。