花曇りの同盟──一本桜と六人の春涙物語

 十一月の風は冷たく、放課後の教室はいつになく静かだった。
  「県の環境審議会……?」
  愛桜が、静の手にある資料をのぞき込む。
  「うん。住民提案制度っていうのがあってね。住民側から正式に保存要望を出せば、県レベルでの審議対象になるの。今の町の議会だけじゃ、限界があると思って」
  静の言葉に、教室の空気が変わった。
  「……そんな制度があるんだな」
  大希がぽつりと呟くと、真季が手を叩いた。
  「やろうよ!それ、すっごく強そうじゃん!“県”って響きだけで、なんか勝てる気がする!」
  「提案には一定の条件が必要よ。関係資料、町の同意、地元住民の賛同数……期限は一か月。しかも今月中」
  静がタブレットの画面を回転させて、提出書類のチェックリストを表示する。
  「やるか……やるしか、ないか」
  琥太郎が呟いた。
  その一言が、空気を前に進ませた。
  「よし、僕はポスター担当だな!」
  雅がいつもの調子で手を挙げる。
  「ポスター……?」
  「俺の顔、でっかく載せて“主役が守りたい桜です”ってやれば、目立つし、話題になる!署名も増えるって」
  静は眉をひそめるが、愛桜が笑って言った。
  「いいと思うよ。雅君の熱意、届くと思う」
  「愛桜ちゃん、わかってるねえ!」
  その夜、町内の掲示板には、雅の顔がドアップになったポスターが貼られた。
  〈この桜、残しませんか?〉という言葉とともに、署名募集のQRコードが印刷されている。
  投稿された画像は、数時間で閲覧数が急増し、翌日には近隣の住民から数十件の問い合わせが役場に届いていた。
  町が、わずかにざわつき始めていた。
  その頃、静は自室で黙々と工程表を組んでいた。
  愛桜はファイルの整理、大希は文献調査、真季は手紙の文案、雅はポスターと掲示対応――
  琥太郎は、申請書類の文章作成を担当していた。
  原稿用紙数枚分の“思い”を、どんな言葉で伝えればいいのか。
  彼は机に向かい、頭を抱えた。
  (……俺の言葉で、届くんだろうか)
  けれど、そのとき背中越しに浮かんだのは、愛桜が桜の下で笑っていた姿だった。
 (届いてほしい。あの笑顔が、来年も咲くように)
  ペンを握る指先に、力がこもった。
 数日後、昼休みの図書室に、六人が集まった。
  静がプリントアウトした工程表を広げ、進捗の確認を行う。
  「申請用紙の雛形は完成。あとは添付資料と、最終チェックだけ」
  「住民の賛同署名は?」
  「昨日の時点で百二十筆。今朝の分を加えれば、百五十を超えるわ。最低ラインは超えたけど……」
  「でも、もっと集めたほうが説得力あるよね!」
  真季が大きく頷いた。
  「よし、残りの三日であと百! がんばろ!」
  静がうなずき、席を立つ。
  「私、今から役場に提出書類の相談に行ってくる」
  「俺も行く」
  大希がすっと立ち上がる。
  「え? じゃあ、私は駅前にビラ貼ってくる!」
  真季も続く。
  「じゃあ俺はポスター差し替えてくるね。次はもうちょっと桜を入れて主役感を控えめにするから」
  雅が笑う。
  琥太郎と愛桜は残った書類を二人で仕上げることにした。
  教室の隅で、愛桜がふと呟く。
  「なんか、前よりチームって感じだね」
  「うん。なんか、ようやく“ちゃんと”始まった感じ」
  「……あのとき、戻ってきてくれてありがとう。あれがなかったら、きっと今、こうしてないよ」
  「ありがとうって……俺、まだ何もしてないのに」
  「でも、最初に“やり直す”って言ってくれたじゃない。それが嬉しかったの」
  愛桜の笑顔に、琥太郎は小さく頷いた。
  「……そっか。じゃあ、最後までやるよ。絶対に」
  放課後、静が戻ってくるなり報告した。
  「県の窓口の担当者、協力的だったわ。提出は来週の火曜日、午後三時まで」
  「了解! じゃあそれまでに全部整えて、出陣だね!」
  真季が言うと、全員が頷いた。
  「じゃあ、作戦名は――」
  と、雅が言いかけたところで、琥太郎が先に言った。
  「“桜、咲かせに行こう作戦”」
  「……あ、いい。ちょっと、いい」
  「地味だけど、やさしい響き」
  「ふふっ、いいかも」
  誰かの冗談に、誰かの本気が重なり、教室には笑いが広がった。
  桜の木はまだ静かに校庭に佇んでいる。
  けれど、その周りを囲む六人の心には、確かな温度が灯りはじめていた。