花曇りの同盟──一本桜と六人の春涙物語

 十月。空気が乾いてきた校舎の中、文化祭の準備が本格化していた。
  真季は廊下に貼るポスターを手に持ち、校内をせわしなく歩いていた。
  「えーと、教室前の掲示板、あと体育館横にも……」
  手にしていたのは、自分たちのクラスで出す『桜カフェ』のポスター。
  桜の花びらをあしらったイラストに、「満開の笑顔、届けます♪」という文字が躍る。
  「……冗談、じゃないよ? 本気でやるんだから」
  自分に言い聞かせるように呟いて、真季はポスターを壁に貼りつけた。
  一方そのころ、雅は音楽室でマイクテストをしていた。
  「桜町ステージの主役は、もちろん僕だから」
  カメラを回していた真季が口を挟む。
  「雅、あのさ、私たちのブースも取材してよ」
  「うーん、いいけど、編集で主役の尺が減るのは困るな」
  「冗談よ、冗談!」
  けれどその冗談も、やがて本当に“冗談では済まなくなる”事態を招いてしまう。
  文化祭当日。『桜カフェ』の入り口には、真季が自作した「本物の桜、展示中!」の看板が。
  「インパクトでしょ? うけると思ったんだよねー!」
  ところが、これを見た一部の来場者が「桜の枝はどこ?」「切り枝飾ってないの?」とざわつきはじめた。
  想定外の反応に、真季はタジタジになった。
  「え、ちがっ……ほんとに飾ってあると思った? あ、でもこの桜のペーパークラフト、すごく可愛いでしょ?」
  必死に説明を試みるが、怒った保護者のひとりがスタッフに苦情を入れてしまう。
  事態を知った静が、すぐさま対応に入った。
  「誤解を招く表現は避けてって言ったわよね」
  「だ、だって、冗談のつもりで……!」
  「冗談で済まないこともある。あの桜は、今、本当に危機にさらされてるのよ」
  静の静かな語気に、真季は言い返すことができなかった。
  カフェの裏手に回って、真季はベンチに腰を下ろした。
  秋風が吹き、散りかけた紙の桜が足元に舞い落ちる。
 (……私、またやっちゃった)
  ふと、手元にあった桜の造花を見つめていた。
  そのとき、そっと隣に誰かが腰を下ろした。
  「真季」
  愛桜だった。
 愛桜は、風で舞った紙の花びらを一枚すくい上げると、そっと真季の膝に置いた。
  「これ、すごく可愛かったよ。……たぶん、来てくれた人も、最初はそう思ってくれたと思う」
  真季は俯いたまま、弱々しく笑った。
  「うん……でもさ、私、やっぱり空気読めないっていうか。『本物の桜展示中!』って……ウケ狙いだったのに、結果、逆効果で……」
  「ううん、責めてるわけじゃない。真季ちゃんは、思いついたことをすぐ動けるところがすごいよ」
  愛桜の声はやわらかく、それでも真っすぐだった。
  「でもね……桜のこと、本当に守りたかったら、冗談って逃げ道を作っちゃだめなんだと思う。ごまかさずに、ちゃんと伝えるって、大事だよね」
  真季は静かにうなずいた。胸にぽつりと何かが落ちるような感覚。
  「……うん、ありがとう。今、ちょっとだけ泣きそうかも」
  「泣いてもいいよ」
  愛桜の笑顔に、真季は少しだけ泣いた。
  そのころ――
  雅は体育館裏でマイクを持っていた。予定されていたステージ発表の合間、観客のざわつきを感じながら迷っていた。
  「主役、主役って言っておきながら……僕、目立つことしか考えてなかったのかもな」
  体育館の中では、文化祭の熱気が渦巻いている。
  ステージ袖に立つ静が、腕を組んで言った。
  「出ないの? 時間、押してるわよ」
  「……静。僕って、ほんとに必要だったのかな」
  「必要だったわよ。目立ちたがりで、張り切りすぎて、ちょっとウザいとこもあるけど……あんたがいなきゃ、みんな動けなかった。ライブ配信も宣伝も、最初に走ったのはあんたでしょ」
  「……ありがとう」
  短く言って、雅はステージに向かう。
  やがて体育館に雅の歌声が響いた。
  言葉は、まるで一枚の布のように会場を包み込んでいく。
  騒然としていた空気が、少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
  演奏が終わるころには、拍手が自然と沸き起こっていた。
  教室に戻った真季は、飾り付けの一部を直していた。
  ポスターから「本物の桜展示中!」の文字がはがされ、新しく「心を咲かせるカフェへようこそ」の手書きプレートが添えられていた。
  愛桜はそれを見て、そっと微笑んだ。
  放課後、琥太郎は昇降口で愛桜に声をかけた。
  「……あの、昨日は、ちゃんと謝れなかったから。ごめん、って言いに来た」
  愛桜は静かに頷き、こう返した。
  「ありがとう。謝ってくれて、嬉しい」
  言葉のやりとりはそれだけだったが、胸の中に残っていたわだかまりが、少しだけ消えていくような気がした。
  帰り道。琥太郎はふと立ち止まり、一本桜の方向を見上げた。
  夕焼け空の下、あの木は今も変わらず、黙ってそこに立っていた。
 (この木みたいに、俺も、何かを守れる人間になれるかな)
  そう思ったとき、ほんの少しだけ背筋が伸びた。