【滝沢のアジト】
重い鉄の扉が、静かに開いた。
リビングのソファに深く沈み、考え事をしていた滝沢の耳に、聞き慣れた声が届く。
璃夏:「ただいま戻りましたー」
彼女は、アジトの重い空気を吹き払うかのように、努めて明るい声を出した。
だが、ソファに座る男の背中から滲み出る、いつもとは違う気配を、璃夏は敏感に感じ取っていた。
滝沢:「おぅ」
返ってきたのは、相変わらずの、短くぶっきらぼうな返事。
璃夏は、買ってきた食材を冷蔵庫にしまいながら、彼の様子をうかがう。その横顔は、何か遠い場所を見つめているようだった。
璃夏:「そういえば、滝沢さん」
滝沢:「ん?」
璃夏:「今日は、夢、見なかったんですか?」
その問いに、滝沢はゆっくりと顔を璃夏の方へ向けた。
滝沢:「見た」
滝沢:「……あの続きをな」
璃夏:「教えてください!」
璃夏は、彼のすぐ隣のソファに腰を下ろし、その顔を真剣な眼差しで見つめた。
滝沢は、「またかよ」とでも言いたげに、面倒くさそうに一度だけ天を仰いだ。だが、璃夏の真剣な瞳から逃れることはできない。彼は、諦めたように、重い口を開いた。
--- 滝沢の夢 ---
冷たい医務室のベッドの上。
俺の周りには、見慣れない顔ぶれが揃っていた。
いつものドクター。そして、その横には肩に黄金の星をいくつも付けた、軍の最高幹部らしき三人の男たち。ソコロフ元帥、ヴォルコフ大将、オルロフ中将。彼らは、まるで品定めでもするかのように、俺の体を見下ろしている。
ドクター:「ええ。今回の被検体イレブンは特別です。これまでの失敗作とは訳が違う」
ドクターは、興奮したように早口でまくしたてた。
ドクター:「筋肉量、骨格、心肺機能の飛躍的な向上。人間の限界を超える関節の可動域。全て完璧です」
オルロフ中将:「で、問題の副作用はどうなのだ」
ソコロフ元帥:「……これまで六人が失敗し、死んでいる」
ドクター:「問題ありません」
ドクターはきっぱりと言い切った。
ドクター:「副作用は二つ。古い記憶から順に失われていく記憶障害。それと、喜怒哀楽の感情の欠乏」
そして彼は、心底楽しそうに、悪魔のようにこう続けた。
ドクター:「過去に縛られず、感情にも左右されない。最高の**『殺戮マシーン』**を作る上で、これほど都合の良い副作用はありませんよ」
その言葉に、俺は声にならない悲鳴を上げた。やめろ、と。
だが、俺の体は拘束され、声も出ない。
ドクター:「今回のは、遺伝子レベルで肉体を再構築する神の薬です」
ドクターは、一本の注射器を手に取った。
そして、俺の腕に、あの冷たい針が刺さる。
--- アジト・現在 ---
滝沢:「……夢が、俺の一番古い記憶の、すぐ近くまで来た」
彼は、淡々と、まるで他人の物語でも語るかのように、話し終えた。
璃夏は、言葉を失っていた。やがて、その大きな瞳から、大粒の涙が、堰を切ったように溢れ出す。
璃夏:「酷い……」
璃夏:「その人たち……ほんとうに、同じ人間なんですか……」
滝沢:「……」
しばらくの沈黙の後、璃夏は涙をぐいと拭うと、気丈に言った。
璃夏:「でも、滝沢さんの記憶が無かったことは、これで説明がつきますね」
璃夏:「あと、滝沢さんに感情が無いことも」
滝沢:「俺は、感情ねぇのか?」
璃夏:「あまり……」
滝沢:「そこは、無くても困らん」
その、あまりに平然とした答えに、璃夏の中で何かが弾けた。
彼女はすっと立ち上がると、滝沢の目の前に行き、その大きな頭を、両手で優しく掴んだ。そして、自分の胸へと、ぐっと引き寄せた。
(さっき夜が健太にした臨時ボーナスの真似をする)

滝沢:「……何してる?」
彼の声には、驚きも、怒りも、喜びもない。ただ、純粋な疑問だけがあった。
璃夏は、笑いながらも、どこか残念そうな声で言った。
璃夏:「ほら」
璃夏:「やっぱり、感情がありませんね」
滝沢:「こんなことされたら、普通、どうなるんだ?」
璃夏:「んー、照れたり、『何するんだ!?』って怒ったり……そんな感じだと思いますけど」
滝沢:「別に、死ぬわけでもないだろ」
璃夏:「……Eカップくらいじゃ、そうですね」
滝沢:「大きさじゃねぇ」
その、わずかに苛立ちを含んだ、反射的な否定の言葉。
それを聞いた璃夏は、顔を上げると、最高の笑顔で言った。
璃夏:「今のは、少し、感情ありました」