さよならの勇気~お隣さんはクールで意地悪な産業医~

「危ない」

 近くに立っていた先生が倒れそうになった私の背中に腕を回し、もう片方の手で私の腰を支える。先生との距離が近づき爽やかなシトラスの香りがした。

「気をつけて」

 耳に先生の低い声がかかり、なぜかドキリとする。

「すみません」
「全部寝不足が原因ですよ」

 石黒くんが原因だとまた言われた気がして、怒りが再加熱する。

「私のことはご心配なく。大丈夫ですから。失礼します!」

 強めに言い返し、執務室から出た。バタンっと感情的にドアを閉め、ドスドスと廊下を歩いた。石黒くんのことを悪く言われて腹が立って仕方がない。

 なんで森沢先生に別れろだなんて言われなきゃいけないの。石黒くんは優しいんだから。こんな私を好きだって言ってくれる人なんだから。

 ――虫垂炎の手術から一ヶ月経っていれば、ほぼ日常生活に戻れると思います

 森沢先生の言葉が胸に刺さる。
 私も調べて知っていた。でも、石黒くんにそのことを言えない。お母さんの容態のことを聞くと最近ははぐらかされる。まるで私と一緒に暮らすことを避けているよう。

 ううん。そんなことない。
 石黒くんは優しいからお母さんを心配しているだけよ。きっと来月になったら一緒に暮らせる。そうなったら家賃の為にアルバイトをする必要もなくなる。それまで持ちこたえればいいのよ。そう自分を励まし、私はオフィスに戻った。