さよならの勇気~お隣さんはクールで意地悪な産業医~

「久保さん、健康診断の結果を報告しに行ってきます」

 千人分の健康診断のデータが入ったUSBメモリを握りしめ、自席から立ち上がる。
 年に一度全社員に行われる定期健康診断の結果が病院から来た所だった。本人に結果を通知するだけではなく、産業医の森沢先生にも報告しなければいけない。

「森沢先生の所ですか。私が行きましょうか?」

 久保さんが期待いっぱいの目で見つめてくる。

「久保さんはこのあと新人研修でしょ」
「はーい」

 久保さんがつまらなそうな返事をする。
 久保さんは今年入社したばかりで、私は彼女の教育係だ。
 新人研修よりも森沢先生の所に行きたかったのだろうが、浮ついた気持ちで森沢先生と接することが心配だ。
 森沢先生は久保さんのように好意を向けてくる女性には厳しいから、きっと冷たくあしらわれる。

「森沢先生によろしくお伝えくださいね!」

 背中に久保さんの弾んだ声を受け、活気ある人事部のオフィスを後にした。
 森沢先生の執務室も同じフロアにあり、静かな廊下を歩きながら緊張してくる。
 私は久保さんとは違い、クールで近寄りがたい雰囲気がある森沢先生が少し苦手だ。

 うちの会社で専属の産業医をしている森沢先生は週四日執務室にいる。産業医は病院の医師とは違い、診察や治療を行うのではなく、従業員が病気になることを防ぐ予防医療がメインだ。長時間労働者と面談したり、職場の衛生環境をチェックしたり、健康診断の結果を見て、再検査や精密検査が必要な人の面談や指導を行ったりするので、人事部との連携が必要になる。特に労務担当の私は一番森沢先生と顔を合わせる立場だ。

 ドアをノックすると、「はい」という低い声が返ってくる。