さよならの勇気~お隣さんはクールで意地悪な産業医~

 7月の衛生委員会は定刻通りに始まり、一時間で終わった。
 会議室に集まった出席者は産業医の森沢先生を含めて10名だ。6月から義務となった熱中症対策が適切に行われているかということが今日の議題となった。毎回、衛生委員会でしてもらう森沢先生の衛生講話は議題に合わせた熱中症対策の話で、十分な睡眠とバランスのいい食事が大事だという内容だった。私にとっては耳の痛い話だった。

 アルバイトを始めたこの二週間、十分な睡眠は取れていない。
 会社での仕事が午前9時から午後6時までで、その後、午後8時から深夜1時半までファミレスで週五日働いている。家賃を払う為だった。

 オフィスに戻り、ノートパソコンで議事録をまとめていると、自然と瞼が下がってくる。
 いけない。集中しなきゃ。
 気合いを入れる為に両手でバンッと頬を叩くと、隣の席の久保さんがこっちを見て苦笑を浮かべる。

「一条さん、そんなに強く叩いて大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。頑丈に出来ているから」

 ハハッと笑って誤魔化すと、「森沢先生カッコ良かったですね」と久保さんが話を振ってくる。
 久保さんも私の補佐で衛生委員会に出席していた。

「森沢先生って、俳優さんみたいに整った顔立ちをしていて、しかもイケボで、あの声で話されるとどんな話も素敵な話に聞えちゃいます。今日の衛生講話も素敵だったな」

 うっとりした表情を浮かべる久保さんは森沢先生に憧れているようだった。
 確かに森沢先生は容姿端麗で、素敵な声をしているが、近寄りがたい。近くに行くとなぜか私はいつも森沢先生に睨まれている気がする。さっきの衛生委員会の時だって怖い顔で私を見ていたし。先程ぶつかった件、もう一度謝っといた方がいいかもしれない。