さよならの勇気~お隣さんはクールで意地悪な産業医~

「すみません!」

 慌てて離れて、身長160センチの私より20センチくらい背の高い男性の顔を見て、ぎょっとする。私がぶつかったのは産業医の森沢誠二(もりさわせいじ)先生だ。
 細身で引き締まった体型の先生はクールでシャープな雰囲気をまとい、整った顔立ちをしているが少し怖い。目尻が上がった切れ長の双眸がそう思わせるのかもしれない。

「不注意ですね」

 青いワイシャツの胸元を撫でながら先生が無表情なまま口にした。

「すみません。痛かったですか? お怪我をされましたか?」
「大丈夫です」
「本当にすみません。急いでいたもので」
「時間には余裕を持って行動するようにと、社員に注意喚起をする立場の一条(いちじょう)さんが、それを言うのはどうかと思いますが」

 先生の言葉が、鋭い針のように胸に突き刺さる。職場の安全管理も労務担当の私の仕事だ。
 先生の指摘は最もなので、返す言葉がない。

「申し訳ございません!」
「気をつけて下さい」

 そう言うと森沢先生は私にはもう興味がないというように立ち去った。

「森沢先生、相変わらずクールね。それにイケメンだし」

 先生とのやり取りを見ていた瞳子が小さくなった先生の後ろ姿に視線を向ける。

「産業医が森沢先生に変わってから、相談に行く女性社員が増えたそうよ。32歳独身で見た目もカッコイイからね。でも、下心ありの女性社員はバッサリ切り捨てられるんだって。先生、恋愛には全く興味がないらしい」

 その話は私も耳にしたことがある。先生に恋愛感情を持つ者は冷たくあしらわれるらしい。まあ私には関係ないけど。先生と仕事で関わるが、先生を異性として意識したことはない。

「綾乃、急いでたんじゃないの?」

 うわっ、こうしている場合ではない。早く会議室に向かわなければ。
 出席するメンバーよりも先に会議室に行っていなければならない。私は大慌てで上の階にある会議室に向かった。