さよならの勇気~お隣さんはクールで意地悪な産業医~

 翌日の土曜日はお昼に目を覚ました。昨夜はバイトが休みだったので、十二時間眠る事が出来た。これで一週間分の寝不足が大分解消された。

 起きてすぐにスマホを見るが、石黒くんから連絡はない。新居に引っ越して来る前は毎週末会っていたのに、もう一ヶ月以上、会社の外で石黒くんに会っていない。お母さんが虫垂炎になって石黒くんもお家ことで忙しいのだと思うけど寂しい。わがままを言ってはいけないと我慢していたけど、石黒くんに電話した。

『もしもし』

 電話に出た女性の声にハッとする。
 石黒くんのスマホにかけたのになんで女性が出るの?

『もしもし?』

 黙ったままでいると女性の怪訝そうな声がした。

『勝手に俺のスマホに出るなよ』

 遠くに聞こえたのは石黒くんの声だ。

『もしもし、綾ちゃん?』

 女性からスマホをとり返したらしい石黒くんの声が少し焦っている気がした。

「あっ、急に電話してごめんね。石黒くんのお母さん、大丈夫かなと思って」
『心配してくれてありがとう。よくなったけど、まだ一人にするのは心配なんだ。お腹を手術したからさ』

 石黒くんの声は優しいけど、どこかぎこちない。

(れん)、まだ?』

 先ほどの女性の声が遠くで聞こえる。
 蓮とは石黒くんの下の名前だ。私は石黒くん呼びなのに、一緒にいる女性は下の名前で呼ぶんだ。すごく石黒くんと親しそう。どんな関係の人なんだろう? それに石黒くんは今どこにいるの?そう聞きたいけど、干渉し過ぎだと思われるのが怖くて聞けない。

『綾ちゃん、切るよ』
「あのさ、石黒くん、いつ引っ越してくるの?」

 慌てて口にしたけど、石黒くんに私の声は届かなかったよう。
 聞えて来たのは、『ツーツーツー』という通話終了を知らせる無機質な音だけだった。