『先輩、あの日の約束、                         覚えてますか?』

 次の火曜日、私はいつもよりちょっと早く図書室に着いた。
 鞄の中には、自分のノート。普段は絶対に見せない“誰にも言えない私の物語”。

 「……あの、先輩」
 「ん?」  
 「私も、書いてるんです、小説」
 「へえ」  
 「……よかったら、見ます?」

 数秒の沈黙。からの、ふっと笑う気配。

 「見るけど。つまんなかったら2秒で閉じる」     
「それはちょっと傷つくかもです」

 開いたページに視線を落とし、彼の目がゆっくり動く。
 無表情で読んでいた先輩の口元が、ほんの少しだけ緩んだのがわかった。

 「……意外と、いいじゃん」
 「“意外と”ってなんですか、“意外と”って!」
 「いや、もっと青臭いポエム系かと思ってた」

 ムッとしたけど、くすぐったいような嬉しさが、胸の中をひらりと飛んだ。
 こうやって誰かに、初めて自分の言葉を読んでもらった。

 それが、このちょっと意地悪な先輩だったっていうのが、なんだか不思議だった。

 *

 火曜日が三回過ぎたころ、先輩はぽつりとこんなことを言った。

 「……俺、小説家にはなれないけどね」

 背もたれにもたれかかりながら、天井を見つめている。

 「うち、病院やっててさ。親が継げってうるさいんだよ。物心ついたときから“医者になるんだぞ”って言われてきた」
 「そうなんですか……」  
 「だから、どんなに書くのが好きでも、結局“趣味”なんだよ。ガキの遊び」

 ぽつり、ぽつりと落とされる言葉は、意地悪じゃなかった。
 ただ、少しさびしそうだった。

 私はふと、自分でもびっくりするくらい、まっすぐに言っていた。

 「じゃあ、私が小説家になります」
 「……は?」  
 「先輩の分まで、私がなるんです。ちゃんとプロになって、作品を出します」
 「なにその根性論」
 「そのときは、駅前の本屋さんに並んだ私の本、ぜんぶ買い占めてくださいね」

 先輩は、呆れたように笑った。
 でも、それは今まででいちばん自然な笑顔だった。

 「……それ、めっちゃ高くつくぞ」
 「いいですよ。売れ残ってたら、ちょっと恥ずかしいけど」  
「そしたら俺、店員さんに言うわ。“この子、昔はもっとマシだったのに”って」

 「ひどっ」

 笑いあった火曜日。
 それは、たぶん特別な約束だった。
 ──10年後の自分と、あの人への、小さな挑戦状。