―待ち合わせは、                   名前を忘れた恋の先で―

朝の電車が駅に滑り込むと、制服姿の高校生たちが次々にホームへと降りていく。
その中に、紬の姿もあった。

知らない街、知らない学校──
それでも、どこかで見たような風景に胸がざわつく。

改札を抜けようとしたとき、向かいのホームに立つひとりの男子生徒が目に入った。
黒髪を風に揺らし、じっとこちらを見つめている。

「……どこかで会ったこと、ある気がするんだけどな」

ふと、紬の口から言葉がこぼれた。
自分でも、どうしてそんなことを思ったのか分からない。

けれど、彼の目が少しだけ寂しそうだったことだけは、なぜか心に残った。

転校──
突然の出来事だった。
理由も曖昧で、記憶にもぽっかりと穴が開いている。

何か大切なことを、忘れている気がする。
頭の奥でずっと引っかかっているのに、
掴もうとすると、するりと指の間から抜け落ちてしまう。

 

高校では、噂になっていた。

──あの子、何があって転校してきたんだろう。

──前の学校で何かやらかしたんじゃないの?

 

紬は目立たないように過ごした。
ただ、それでも時々、思い出しそうになるのだ。

音楽の授業で鳴るピアノの音。
誰かと待ち合わせていたような坂道。
図書室で感じた、ぬくもりの気配。

そのすべてに“名前”がない。
何を探しているのかも、分からない。

 

──その頃、風見ヶ丘高校。

卒業を目前にした高瀬大翔は、
紬が突然学校に来なくなったことを、ずっと引きずっていた。

「おれが何かしたのか……?」
「もう、嫌われたのかもしれないな……」

誰にも何も聞かされないまま、
クラスで起きた“あの日”のことも知らされないまま、
紬はただ、いなくなった。

気づけば、机もロッカーも空っぽになっていた。

 

駅のホーム。
ふと見かけた、紬によく似た後ろ姿。
でも──声はかけられなかった。

忘れられたかもしれない。
嫌われたかもしれない。

自分が彼女に、なにをしてしまったのかすら、分からない。

 

桜が咲いた。
卒業式。
一緒に見るはずだった風景は、そこにはなかった。

「……さよなら」

声にはしなかったけれど、
胸の中でそう呟いて、大翔は風見ヶ丘を後にした。

 

ふたりの時間は、そこで一度──終わった。