石楠花の恋路

しかしそんな物悲しい景色とは打って変わって食事は普段の幸枝の食事と何ら変わり無い、世間一般には非常に豪勢な食事である。幸枝自身もこの食事が申し分の無いほどに「良いもの」であることは重々承知しているが、例えばとある医者と薬剤師の家に泊まったときの食事は、彼女にとってはお世辞にも「食事」と呼べるような量でも質でもなかった。むしろ世間の人達はこれでよく生きているなと思ったのであったが、この戦時においてもそれまでと同じような食事を摂っていた彼女としてはその質は下げられないのである。食事を終えた幸枝は屋敷を歩き回り、留守居を探して尋ねた。
「はつさん、お手紙を出したいのですけれど」
「はあ、それなら使用人の()がお出ししますよ。お預かりしましょうか」
老婆は作業の手を止めてそう言ったが、幸枝は首を横に振る。
「いいえ、私、ちょっとこの辺りを見て回りたいんです。町のほう迄行ってみたいと思っているんですけれど、郵便局は遠いですか?」
「はあ、自動車を呼びましょう。使用人を一人付けましょうか」
はつの提案に対して幸枝は再び首を横に振った。
「いいえ、駅から此方迄一本道でしたし、色々眺めながら歩きたいんです。使用人のかたも他のお仕事があるでしょうし、私一人で行きます。それに一人のほうがゆっくり散策できますから」
留守居は困った表情を見せている。
「そうなさるわけには……正博御坊ちゃまより、伊坂様が外出なさる際は必ず一人は従者を付けるようにと(おおせ)せつかっているものですから。伊坂様にはご不便をお掛けしますけれども……」