石楠花の恋路

夜はゆっくりと過ぎてゆき、客室に冷えた朝日がかっと差し込む。その(まぶ)しさで目を覚ました幸枝は、底冷えした空気に触れぬよう布団に(くる)まって窓の外を覗く。朝がやってきた。遠くの山々は陽に照らされてなだらかな輪郭を見せ、近いところ、遠いところから様々な鳥の声が聞こえる。東京で聞いていた鳥の声といえば「チュンチュン」「カーカー」であったが、ここでは「ピーピー」「ヒッヒッ」と小鳥の(さえず)りが辺りに響き渡る。ネグリジェから普段着に着替えた幸枝は階下へ降った。
食堂を覗いてみると、そこには昨日は見なかった女性が二人居て、出来上がったばかりの朝食を机上に並べている。
「伊坂様、お早う御座います。只今御食事の準備をしておりますので、居間にてお待ちくださいませ」
客人の姿に気がついた二人は配膳の手を止めて腰元に揃え、一つ(しと)やかに礼をする。二人は幸枝ともそう歳の変わらぬ若い女子に見えたが、紺色のワンピースに白いエプロンをしているその姿から使用人であろうと予想がつく。一人分の食事だけが置かれた食卓はいやに大きく見えて、実家の食堂を思い出した。父も兄も働き詰め、学生の義弟(おとうと)とは時間が合わず女中(じょちゅう)仕来(しきた)りで伊坂家の者とは別に食事を摂るから、伊坂家の食堂もこの別荘と同じようにぽっかりと穴の開いたような広さで無限に大きくなっていくような錯覚を覚えるほどに寂しかった。唯一の救いは目前に広がる大窓とその向こう側に見える小さな横庭であるが、この寒さの厳しい季節に咲く花は植えられていないようで、やはり少々の哀愁を漂わせている。