国⺠服に着替えた⼩野⽊は留守居と⾨番を代⾏している使⽤⼈に昼前には戻ってくると告げて、前庭から引っ張り出した⾃転⾞に乗り屋敷を出た。 ⼀本道を進み、 街中を抜け、ひたすらペダルを漕いで甲府を⽬指す。これもまた、 屋敷から甲府の研究所への「定期便」であった。 東京からの客⼈は知る由もないが、彼⼥が甲州へ来る直前、 家主の次男からの命令で、 仮に甲州周辺で空襲や警報が有った場合研究所の者へ客⼈の安否を伝えに⾏くようにと⾔われていたのである。そういったわけで、これまでは空襲警報が出ればそれが収まった後や翌⽇、 使⽤⼈を研究所へ()って伝させていたのであるが、今回はどうも甲府は⼤変だというので⼩野⽊が出向いた次第である。
空襲から⼀夜明けた甲府は、 未だ所々建物に()いた⽕が燻り、 全てが燃え切った街から出る⿐の奥を突くような煙たさが眼前を覆うほどの被害であった。甲斐の⻁の治めたるこの⾒慣れた地がここまでになっていようとは思いもせず、その恐ろしさに思わず⾜が⽌まる。いや、⼀刻も早く研究所へ向かわねば──⼩野⽊は暗雲⽴ちこめる⼼情の中、その⾜をゆっくりと焦⼟へ踏み⼊れた。 未だ⽡礫(がれき)の散乱する道は楽に歩けたものでもなく、所々⾃転⾞を抱えながら歩を進めた。 ⿊く焦げた⼆棟の⾼層ビルを⽬標(めじるし)に研究所のある地区まで向かう。市街地に⼊ると所々で炊き出しが⾏われていたり救援物資らしきものを持った警防団員が居たり、あるいは検死を⾏っているであろう現場に遭遇した。