初夏が近づき、 甲州の⼭々は新緑に包まれている。 ⾼い空には⽩く⻑い⾶⾏機雲が流れ、その雲の先にはぎらりと光る銀の轟⾳が⾛る。本来穏やかなこの地にも⼀⽇に⼀度はけたたましくエンジンの⾳が響いており、 町では「定期便」と呼ばれるようになった。 ⾶⾏機はいつもどこか遠くへ⾶んでいき、気がついた頃には再び⼭々を抜けるように⾶んでくる。今の爆撃の⽬標は⼤都市であるが、それが地⽅都市に移動するのも時間の問題である──市⺠の間ではそんな考えもあったものの、それでも定期便が過ぎ去るだけの⽇々が続き、 結局のところその⽮先が⾃らに向こうとは思わぬところであった。市⺠はこの東亜で繰り広げられる戦争の渦中に居る筈であるが、 詳しい戦局はどのようになっているのか、⾃らの周囲でどのようなことが起きているのか、そのようなことはつゆ知らず過ごしている。 梅⾬に⼊る前に中⼩都市への爆撃が始まったり、 東京から多くの疎開者がやってきたりと、 国の状況も⼤きく変わってきた。ここ甲州にも東京⼤空襲で焼け出された市⺠や疎開者がやってきたそうであるが、 甲府に⽐べれば少ないもので、幸枝の周囲は普段と何⼀つ変わらぬ様⼦で過ごしている。幸枝もまた、 今⽇も穏やかな陽の光に照らされた農場を眺めているのであった。かつて葡萄の房が実っていた果樹園は⼀部が⽟葱か何かのための畑として整理されたらしく、 ⽇中になると農作業をする⼦どもたちの声が聞こえてくる。⼿元の時計が正午を指したところで、農場からは何処かへ駆ける⼦どもらの⾜⾳を置き去りにして静まり返った。幸枝も時計の針を⾒てそっと本を閉じ⾃室を出る。 階下へ下ればふわりと⾷欲を誘う⾹りが漂ってきて、つい腹の⾍が喜んだように唸った。



