幸枝が扉から⼿を離し前庭へ出ると、⾨番の肩が⼀つ落ちたように⾒えた。彼はかなり前から誰かが⽞関前に居ることには気が付いていたようであったが、それが幸枝だったとは思いもしなかったらしい。両者はきっと来るなと⾔っても来る、⾏こうとしたら来るなと⾔われると分かっていたが、互いに⽌めることも⽌まることもなく、幸枝と実が⾨番の腕を隔てて向き合う格好になっている。
「伊坂さん」
「はい」
実はいかにも落ち着きも余裕も無い様⼦であったが、対する幸枝は飄々(ひょうひょう)として⽴っている。
「もう⼀度君に会えやしないだろうかと思って……あの」
「あら、今お会いしているじゃありませんか」
幸枝は⾼らかな声で突き返す。
「いや、そうじゃなくて、もう⼀度あの丘で……」
上擦ったような声で懇願する実を前に、幸枝は凍てつく表情で返答した。
「私は、 いつの⽇かは此処から去る⾝、 果たして貴⽅に恩義がある訳でも無いのにお付き合いする必要があるでしょうか」
「あっ、伊坂さ……」
⼥の鋭い眼差しと刺すような⾔葉に動揺した実は何も⾔うことができず後退りしている。そんなところに、⾃転⾞に乗った⼥性集配員がやってきた。
「おはようございます……あれ、村松さんに東京のお姉さんまで!今⽇は賑やかですねえ」
その⼈は毎度郵便物を渡している⾨番に挨拶をしたが、⼀⽅の彼は
「は、はあ、そうだな」
と微妙な顔つきである。
「ご苦労……彼⼥はいつもあんな調⼦だ」
ほんわかとした空気の読めない⼥性集配員は町の⽅へと⾃転⾞を⾛らせていったが、どうにも場が(しら)けてしまい、
「お前も仕事が有るだろ、戻れよ」
と⼩野⽊が促したので実は醸造所のほうへと歩いて⾏った。