石楠花の恋路

屋敷に着いた頃には、半ば泣きながら歩いていた。相変わらずこの屋敷は憎らしいほどに荘厳な空気を纏(まと)いながら佇(たたず)んでおり、その前には門番が立っている。
「おかえりなさいませ……伊坂様?」
「小野木さん……」
小野木はとぼとぼと屋敷の前へ戻ってきた幸枝の様子を見て何か普段と違うことがあったことは悟ったが、どう声をかけて良いものかと思案し、少し顔を覗き込むようにその名を呼んだ。一方の幸枝も、小野木の姿を見て潤んだ瞳を彼に向けた。
「誰の仕業ですか」
小野木は眉間に(しわ)を寄せ、苦し紛れの声で尋ねる。門番の目前で立ち止まった女の目には涙が浮かび、今にも(こぼ)れ落ちようかという様子であった。しかし女のほうは自分を見上げる彼を見下ろして苦笑いにも似た表情を浮かべる。
「仕業だなんて、物騒な物言いですね……これは誰の所為(せい)でもないんです」
「しかしそんなお顔でお戻りになられては……私といたしましても事実を解明し報告をせねばなりません。本来は私の手で防がなければならぬことではありますが……」
小野木には、正博から与えられた使命がある。正博の身代わりとなり幸枝を守護する使命と、事件の際に正博へ報告する使命である。外地に居ながらも常に幸枝の安寧を気掛けている正博にとって隣で幸枝を見守ることが出来ないからこそ小野木にその役目を譲った正博であるが、この長閑(のどか)な田舎でさえ幸枝に危害を与える人物が居ないとは言い切れないと考えていた。今後幸枝のような都市からの疎開が増え町には見ず知らずの人々が集まり、町や果樹園や醸造所には若い男がごまんと居る。